前回に引き続き、発達障がいとHSPスペクトラムについてお話します。
こちらでも引き続き、私の「やらかしネタ」を中心にお話しますので、人によっては「自虐ネタ」と捉えるかもしれません。( ̄▽ ̄;)
さて、学卒後の私は実家へUターンしたものの、2008年以降のリーマンショックなどの影響から引きこもりをしていました。留学するという夢を断念するしかありませんでしたので、当然なのかもしれません。
母親の勧めで、地元の大学病院(車でも列車でも約1時間以上の県都にあります)で「ASD(自閉スペクトラム症)(旧アスペルガー症候群)」の診断を受けました。
その後、職業訓練を経て、地元のレンタル店でパートとして働きましたが、先輩によるパワハラや不規則シフト勤務、上司の異動交代など複合的なストレスなどで心身ともに崩し、やむ得ず退職しました。
後々になって、Youtubeなどで勉強するにつれて、「やはり接客業は間違いだった…向いていなかった…」と気づくことができました。
ただ、私の家は私が「貧乏コンプレックス」に詰むほど父の離転職やそれに伴う経済苦が長期化したことで「働く」しか選択肢がありませんでした。
しかし、母としてはたとえ貧しくても早い年代のうちに上級校へ進学させたい思惑があったそうです。それに乗っかった私たち兄弟もまだ未熟なところもあったのかもしれません。
その後、地元の障がい者福祉サービス(就労継続支援B型事業所)を転々として、ようやく就労移行支援事業所での訓練にたどり着きました。
就労継続支援B型事業所に在籍中も人間関係などで苦しみ、「薬物療法」(当時は漢方薬の「抑肝散(よくかんさん)」のみ)も始めました。臨床心理士によるカウンセリングもこの時に始めました。
就労移行支援事業所での訓練はそれなりに楽しかったし、かなりためにはなりました。
しかし、あるメンバーさんの問題行動が表面化するにつれて「共感疲労」が私の中にじわじわと蓄積されるようになりました。
ちょうど平成時代最後の時でしたので、もしかするとHSPスペクトラム(繊細さん)についての話題が出始めた頃ではないでしょうか?
前にも書きましたが、HSPスペクトラム(繊細さん)は「病気でも障がいでもありません」。
令和時代に入り、テレビなどでようやく取り上げられるようになったばかりです。
しかし、厳然とこの気質特性も「私の一部」と認知できても、親は田舎の人間、昔の人間ですので、正しい理解には程遠いものと痛感しています。
その後、就労移行支援事業所の上司の勧めもあり、県内の就労継続支援A型事業所でアルバイトを始めました。
しかし、ここでも問題行動が強めの方(おそらくですが、「自己愛性人格障がい」か「サイコパス(反社会性人格障がい)」と思われる人)に大きく振り回されて、さらに遠方への出勤、(感染症の不安からの)新しい日常生活への適応などから「過剰適応」、「過剰対応」で体調を崩しました。
Youtubeや本などで勉強するうちに、「ココナラ」のことを知り、それに向けての準備として、投げなしの貯金をはたいて「子ども発達障がい支援アドバイザー」の資格を目指し、合格。
晴れてデビューしました。
ココナラの注意事項が多いのも、こうした「いやな経験」があったからこそです。
まだ私の知名度は低いと思いますし、田舎という地域上、おそらくココナラ経験者は地元では私一人だと思います。
私自身が「田舎コンプレックス」で詰むほど、閉鎖的で、保守的な環境、親はニュースに対してかなり平気なようですが、「発達障がい+HSPスペクトラム(繊細さん)」の併存当事者の私はこうした「田舎の環境」が向いていないかもしれません。
近い将来は、地元を、実家を「離れて」違う地域で、このココナラをはじめとする「個人活動」にこつこつ専念したいと思います。
(それについてはまた次回お話します)