グリーフは外から来るだけじゃない。——自分自身を失う、という喪失の話。

グリーフは外から来るだけじゃない。——自分自身を失う、という喪失の話。

記事
コラム
これまでグリーフというと、人やペットとの別れ、仕事や立場の喪失について書いてきました。今回は、少し違う角度から。
自分自身が変わっていくことへの喪失。。。自分を失うグリーフの話です。

グリーフは、外からだけやってくるんじゃない。

大切な人を失う。仕事を失う。立場を失う。
グリーフというと、外側から何かがなくなることだと思われがちです。
でも実は、自分自身の中にある何かが変わっていくことにも、グリーフ(喪失)が存在します。

体力が落ちていくこと。
若さが少しずつ変わっていくこと。
そして、これまで担ってきた役割が、少しずつ形を変えていくこと。

誰かに言いにくい喪失です。「年をとるのは当たり前」「それが老化ですよ?」と言われてしまいそうで。でも、そこにもちゃんとグリーフがあります。

料理のエネルギーが出なくなった。

最近、料理に気合いが入らなくなりました。
夫と二人の生活になってボルテージが一気にダウンしたんです……夫には申し訳ありませんが(苦笑)。

子育てをしていた頃は、夢中で料理していた。家族のために何かを作ることが、自然とエネルギーになっていた。子どもたちが全員いたあの頃は炊飯ジャーも一升炊きでした。
でも今は、2合半で1日がクリアできる。

この気合いのなさは「体力が落ちたのかな」と思っていました。
でも気づいたんです。あのエネルギーの燃料は、子どもたちだったということに。子どもたちのために、という動機が、私を動かしていた。その燃料が少しずつ変わってきた・・・それも、ひとつの喪失です。

子どもたちの世界が、見えなくなった。

子どもたちがそれぞれ自分の居場所を作って、帰省することも少なくなり、接点がないのが日常化。
子どもの世界が、全く見えなくなった。つまりは自立。
でもこれは喜ばしいこと。でも同時に、母親としての役割が少しずつ薄れていく感覚がありました。

それでもどこかに役割を探してしまう。
子どもが帰省するとわかったとき、何か用意しなきゃ。美味しいご飯を作らなきゃ。それは愛情から来る気持ちだけれど、どこかで「母親の私」をしまい込んでいた場所から引っ張り出してくるような感覚が、今ではあるのです。

次男が帰ってきて、バグった。

しばらくの間、次男が家で暮らすことになりました。また母親という役割が復活。でも以前のようには、できない。
あの頃のように完璧にやろうとすると、体がついてこない。そして気づいたら、子どもはもうそこまで必要としていない。どこまでやればいいのか、匙加減がわからなくなってしまった。

母親モードが昔のままで起動しようとするのに、状況は変わっている。
この「バグってる」感覚——これもグリーフのひとつだろうと。失ったものへの悲しみだけじゃなく、変わっていく関係性の中で自分の立ち位置がわからなくなる戸惑い。これもれっきとしたグリーフなんだなと、まさに今、痛感しています。

自分を失うグリーフは、気づかれにくい。

このタイプのグリーフが厄介なのは、誰にも気づかれにくいことです。
「それが普通でしょ」と言われてしまいそうで、誰かに話す気になれない。だから一人で抱えてしまう。
でも、おかしくありません。自分の中の何かが変わっていく痛みは、本物のグリーフです。自分の中が変わっていくことが、実は一番不安でもあり、恐怖を伴うもの。これは脳科学でも証明されていることです。

変わっていくことを、受け取っていい。

母親という役割が変わっていくこと。体力が以前と違うこと。燃料の在り処が変わったこと。
それは喪失でもあるけれど、同時に新しい自分への入口でもあります。バグっているんじゃなくて、アップデート中なのかもしれない。

自分を失うグリーフにも、話す価値がある。

「こんなことで相談していいのかな」と思う人もいるかもしれません。体力が落ちた話。子どもが自立した話。役割が変わった話。
でも、このグリーフを一人で抱えていると、じわじわと心が疲弊していきます。誰かに話すことで、自分でも気づいていなかった感情が見えてくることがある。
「これってグリーフだったんだ」と気づくだけで、少し楽になることがある。

だからこそ、誰かに話すことが、自分へのケアになります。
大きな喪失じゃなくていい。自分が少しずつ変わっていく戸惑いも、ここで話してほしいと思っています。


もし、誰かに聞いてほしいと思っている。あるいは、喪失の悲しみに溺れて身動きできない。そんなときは、ここへ。
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