実際に心が限界まで疲れている時期に「頑張れ」と言われて、とてもつらい気持ちになった経験のある方は少なくないと思います。
もう十分頑張っている。
むしろ、頑張りすぎて壊れてしまった。
なのに、さらに「頑張れ」と言われる。
そんなとき、人によっては「まだ足りないと言われた」「もっとできるはずだと責められた」と感じてしまうことがあります。
特にうつ病や強いストレス状態にあるときは、自分を責める力だけが異様に強くなっていることがあります。
周囲から見れば「少し休んだほうがいい」と思うような状態でも、本人の頭の中では、
「自分は怠けている」
「もっとちゃんとしないと」
「迷惑をかけている」
という声が止まらないこともあるのです。
そんな状態の心に「頑張れ」が届くと、まるでパンクしたタイヤに向かって「もっと走って」と言われているように感じてしまうことがあります。
もう動けない。
もう限界。
それでも走らなければいけない気がして、さらに自分を追い込んでしまう。
だからこそ、「頑張れ」という言葉には慎重さが必要だと言われるようになったのでしょう。
けれど私は「頑張れ」という言葉が絶対に悪い言葉だとは思っていません。
難しいのは、この言葉には“タイミング”があるということです。
たとえば、心が完全に沈みきっている急性期。
何をする気力もなく、朝起きるだけでも精一杯な時期。
そういう時期には、「頑張れ」は重荷になりやすいです。
ですが、少しずつ回復に向かい始めたとき。
「何かしてみたい」
「少し役割がほしい」
「社会とまた繋がりたい」
そんな気持ちが芽生えてくる時期もあります。
その頃になると、「応援しているよ」「無理しすぎない範囲で頑張ってね」という言葉が支えになることもあるのです。
実際、私自身は今、頑張れ」と言われることにそこまで強い抵抗はありません。
それはおそらく、自分自身が少しずつ回復の道を歩いてきたからだと思います。
もちろん、言われ方や状況によっては苦しく感じることもあります。
けれど、「応援してくれているんだな」と受け取れる場面も増えました。
ここで大切なのは「頑張れ」が良い言葉か悪い言葉か、白黒で決めることではないのだと思います。
人の心には波があります。
昨日は大丈夫だった言葉が今日は刺さることもあります。
逆に以前は苦しかった言葉が、回復後には励ましになることもあります。
つまり、“言葉そのもの”よりも、“その人の状態”や“関係性”のほうが大切なのです。
実際、医師が「頑張ってみましょうね」と声をかける場面もあります。
それは、その患者さんの状態を長く見続けて、「今なら届く」と判断しているからなのでしょう。
診察を重ね、苦しい時期も見てきたうえで、「少し前を向けそうだ」と感じたときにあえてその言葉を使う。
そこには単純な精神論ではなく、その人を見てきた積み重ねがあります。
だからこそ、「頑張れ」という言葉は本当に難しいのです。
使い方を間違えると、人を追い込んでしまう。
けれど、適切なタイミングでは人を支えることもある。
そして、周囲の人たちも多くの場合は悪意があって言っているわけではありません。
どう励ましていいかわからない中で、一生懸命に言葉を探した結果「頑張れ」になることも多いのだと思います。
だから、言われた側も言った側も、必要以上に「絶対に正しい」「絶対に間違い」と責めなくていいのかもしれません。
大切なのは、「今、この人はどんな状態だろう」と想像すること。
そして、「この言葉は今、支えになるだろうか」と少し立ち止まること。
うつ病や繊細さを抱えていると言葉に敏感になる時期があります。
ほんの一言で涙が出たり、逆に救われたりすることもあります。
だからこそ、正解を探すよりも「寄り添おう」とする姿勢そのものが、きっと一番大切なのだと思います。
「頑張れ」は絶対悪ではありません。
けれど、万能の励ましでもありません。
その人の心の温度を見ながら、そっと手渡す。
そんな“タイミングの言葉”なのかもしれません。