<閲覧注意>芸術論談義⑤ ~現代アートが高額になるメカニズム~

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こんばんは、Philip/K/Komです。
1月ももう最終日です。
今月は中々やることの多い月でした。最近は体調が優れず、中々作品の製作などが思うように進まない月でしたが、トボトボ生きています。

あと、最近では、ココナラで動画作成や画像作成の依頼がちょこちょこ来始めているので嬉しい限りです。

それでは、毎月恒例となりました、芸術論談義の第五回を書いていこうと思います。

第五回は「現代アートが高額になるメカニズム」についてです。
たまにニュースで、現代アートが数千万円、数億円なんて注目されたりします。
つい最近、「うさぎの彫刻」に100億円相当で落札されたなんてニュースもありました。
(URLが貼れないので、お手数ですがご自身で検索してください)

まあほとんどの方の思う事としては、「どこにそんな価値があるの?」という事だと思います。
これの答えに行く前に、そもそも商品やサービスの”価値”そして”価格”の考え方について書いていきます。

現代の社会通念上、商品やサービスの価値、そしてそれを一般流通と言う形に直すと”価格”と言う事が出来ます。
これは、時代や情勢によって変わりますが、その時代によって概ね「適正価格」というのがあります。
この適正価格は、特に定められたものではなく、多くの人による経験則によってなんとなく通じるようになっています。

この適正価格とは今まであった商品やサービスの価格や価値をベースに作られます。例えば、軽自動車というカテゴリーの商品の適正価格は今では約140万円くらいと言う感じです。
(約30年前は軽自動車は100万円くらいが適正価格でしたが、現代では価格が向上しています)

それでは、もう少し深掘りしてみましょう。
そもそも、この軽自動車というものは、なぜ140万円するのでしょうか?
「自動車会社が付けたから」
というのは、半分は正解ですが、半分間違っています。

この軽自動車の140万円という数字はどこから来たのでしょうか?
それは、別に自動車に限らず、商品やサービスの価格の成り立ちには一定の法則があるからです。
①原価
②手間賃
③ブランド代
④付加価値
⑤競争力
と大きく分類する事ができます。

①の原価は、メーカーおよび消費者にとって死活問題でもあります。
軽自動車の材料は、鉄、プラスチック、合金、など多種多様で、そのひとつひとつに価格が存在します。当然この材料の価格が上がると軽自動車の価格も比例して上がりやすくなります。
②の手間賃とは、その商品を作るプロセスにどれくらいの手間がかかるか?と言う事です。軽自動車なら、設計・デザイン、部品の製造、アッセンブリー、塗装などかなり手間がかかっています。
③のブランド代は、その商品を作っている企業のブランド力によって変わります。
これは広告費だったりと、商品そのものとは別にまた費用がかかっています。
④の付加価値とは、その商品が持つ特徴や機能を欲しがる人がいるかどうかと言う事です。
軽自動車の例で言えば、オープンカーだったり、デザインが個性的など、軽自動車と言う”移動手段”という目的以外に価値を感じる部分への価格転嫁となります。
⑤競合企業が同じような商品を作っている場合、価格が1円でも高くなると不利になる場合も多いです。当然商品の価格を安くすれば、どこかにしわ寄せが来ます。

こんな具合で、140万円という価格にはとても深い事情があるのでした。

では次に、価格から”価値”の話に移りましょう。
先ほどの例に挙がった軽自動車に引き続き登場してもらいます。
この軽自動車は140万円です(消費者が購入する価格として)
あなたは、この自動車を購入しようか悩んでいます。
そんな中、ニュースで違うメーカーの新しい軽自動車が発表されました。
その軽自動車は、とても凝ったデザインをしていますが、200万円します。
あなたならどちらを購入しますか?

この時、多くの人は、こんな思考をしています。
「このデザインに60万円差の価値があるか?」
デザインという部分は、別に他の機能だったりなんでも良いです。
大切なのは、このデザインや機能に価値を感じるかどうか?という部分です。
人によって、「別に仕事で移動するだけだからデザインなんてどうでもいいよ」と言う人もいれば、「せっかく初めての車なんだからカッコイイのが欲しい!」という人もいると思います。
この時、140万円と200万円の車をどちらを買うか比較する事を”相対的価値判断”と僕は言っています。
人間というのは、AとBとの違いと価格を天秤にかけて判断を常にしています。(安っぽい言葉で言えば「コスパ」)
140万円と200万円の軽自動車のそれぞれの価値と価格を比較する事によって、どちらを買うのかを決めているという事です。
これは、どちらの軽自動車に価値を見出すのかは人それぞれですし、どちらが正解というのもありません。
この相対的価値判断の重要な所は、基準となる商品やサービスが無いと判断出来ないという点です。
白いコンクリートの建物の横に駐車された黄色のミニクーパー

この例ですと、140万円の車が購入候補に挙がっているのが事の発端です。
つまりこの”140万円の軽自動車”という商品が基準となっているわけです。
ですので、この140万円を払う事によって得られる事を自分なりに考え、自分にとって全く同じ価値のものであれば、120万円の車でも良いとなります。
そして、次に価値に関して大切なのは、先ほどの例にあった60万円の差についてです。
この60万円分の何か(機能だったり、デザイン)というのは、人よって感じる価値はバラバラです。オープンになる事に全く興味無い人もいれば、60万円払ってでもその機能が欲しいという人もいます。
自分にとって、その機能にその価格を払う価値があるのか?と言う判断を”絶対的価値判断”と僕は呼んでいます。
つまり、自動車に求める機能で「オープンカーじゃなくては絶対にダメ!」という人が居たとしたら、その機能に払う対価つまり価格は、60万円にもなり得ます。
もっと極端な例を挙げると「’69年製のマスタングじゃないと嫌だ!」と言う人が居たとします。
このフォード車のマスタングは当時は200万円くらいでしたが、今ではプレミア価格で800万円近いものも存在します。
つまりこれは、その車への”強い憧れ・思い” が ”価値” となって ”価格”に反映されるというプロセスになります。
別に車に興味が無い人からすれば、そんな古い車になんでそんな価格?・・・
と言いたくなると思います。
でも世の中には、その車に一千万円近く払ってでも欲しい”価値”があると感じている人が存在するという意味となるのです。
レッドフォードマスタング

「価格」と「価値」の面白い関係性が分かったところで、ようやく本題のアートについていきましょう。
アート作品というのは、面白いもので、先ほどの軽自動車の様に、”相対的価値判断”が介入しにくいという特徴を持っています。
例えば、好きなアーティストがいたとして、その人の絵を買うときに、
「他のアーティストの絵より安かったら買う」という思考よりも「ああ、それくらいするもんなんだ」という傾向が非常に強くなるからです。
これは何故かというと、アート作品というのは、機能的に役に立たないからです。
先ほど例に挙げた、軽自動車ですと、A地点からB地点に行くという「機能」に価値があり、価格が付けられます。

しかし、アート作品というのは、それを観たり参加する事で、「楽しい」などの感情に起因する部分がメインであって、その感情に価値を感じるわけです。
つまりこれこそ、先ほどの「’69年製マスタング」と同じように、その作品に価値を感じる人がいれば、価格が発生するメカニズムと同じです。
では、価値については良いですが、問題の「価格」についてはどうでしょうか?

最初の方に書いた通り、世の中の商品には「適正価格」というのが往々にして存在しますが、アートに関しては存在しません。
(厳密に言えば、適正価格ではなく、相場というものはあります)
これは、「’69年製マスタング」と同じ様に、「その作品なら100万円でも欲しい」という人が”もし存在したとする”とそのアート作品の価格は今日から100万円となります。
「いや私は200万円でも欲しい!」という人が現れた瞬間、200万円となります。
絵画を勉強している女性

つまり、アート作品というのは、価格が適正価格を基準に想定されるわけではなく、それを欲しいという人の声がそのまま価格となる。
ということになります。
これは、工業製品や食品などの一般商品の「価格」→「価値」というプロセスではなく、「価値」→「価格」という逆の発想となります。
(もちろん例外はある)

ここで、一番初めの「うさぎの彫刻」に戻ります。
「どこにそんな価値があるのか?」
それは、100億円でも欲しくて、”実際に買った人がいる”という事実が価値になるのです。
つまり彫刻そのものの価格というよりかは、それをそんな大金を払う人がいる証明材料として存在意義があるとも言えます。
ではなぜ、うさぎの彫刻に100億円を払ったのか?
アートの価値・価格の基準となるものは、

1.アーティストのブランド力
2.技術的革新性
3.投資・投機対象
という構成にする事が出来ます。

この彫刻がどのように100億円の価値を見出したのかは、買った本人にしか真実は分かりません。
しかし、アートというのは16世紀以前から投資・投機の対象であった事は事実としてあります。これは、簡単に言うと、100億円で買った作品が将来120億円で売れる可能性がある。(または、もうそのように決まっている)
実際、現代アートの闇とも呼ばれる部分で、「本質的に芸術としての価値」というよりは、投資家の間でのマネーロンダリングの材料にもされているのも多くあります。

ただし、現代アートに関して、この”芸術的価値”というのは、非常に難しく議論も多いもので、何を持って芸術と呼ぶか?芸術の価値とは?という所謂哲学の様な考えから、
「オレは100億円で買ったんだから、これは100億円の価値なんだ!」
というなんか小学生の発想みたいなものが当たり前に通用する世界でもあります。
*この「うさぎの彫刻」に100億円の価値があるとか無いとかそういう話ではありません。

それでは、結論。
Q:現代アートが高額になるメカニズム
A:作品にその価格を付けて買う人がいるから

なんとも身も蓋も無い結論にはなってしまいますが、本当だからしょうがない。
もちろん世の中のアーティストで、ひとつの作品にそんな価格を付けられる方が少ないので、一攫千金とし”芸術家”を目指すのはお勧めしません。

まあそんなバカみたいな価格でなくても、アート作品に関して「なんでそんなに高いの?たかが絵じゃん」というのは、創っている側からするとなんとも哀しい気持ちになるので、価格→価値ではなく、その作品を観た時に自分はどう感じるか?その感情にその価格を払う価値を感じるか?という絶対的価値判断で観てみるのはいかがでしょうか?

と言う感じで、新年一発目の談義をしてみました。
悪意は無く書き進めていたので、何かご意見などあったらお気軽にコメントに残してもらえれば、可能な限り返信させてもらいます。

次回は、芸術論談義 第六回「芸術とビジネスの関係性」についてお話しできればと思っています。

いつも通り長くなりましたが、読んで頂いた方はありがとうございます。
またお会いしましょう。

Philip/K/Kom
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