……それ、やっと言えたんだね

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コラム
放課後の空は、
朝からの曇りをそのまま深くしたみたいに、
重く垂れ込めていた。

校舎の屋根に落ちる雨音が、
リズムではなく“重さ”を刻んでいる。

凪は傘を持っていなかった。

昇降口の前で、友達の真帆に声をかけられる。
「ねぇ聞いてよ、また今日もさ――」

雨は強くなる。
真帆の言葉も強くなる。

凪の心の呼吸だけが、
段々弱くなっていく。

(今日に限っては……
 ごめん、誰かの話を聞く余裕がない)

そう思いながらも、言えない。

“聞く人”の役割を手放すことが、
まだ怖い。

「ごめん、私……今日は帰らなきゃ」
勇気を出したつもりだった。

真帆は、数秒の沈黙のあと、
ほんの少し笑って言った。
「そっか。じゃあまた明日ね!」

軽い声なのに、凪の胸の奥では、
どこか鋭い音がした。
(本当に“また明日ね”でいいのかな……)

そんな不安だけを残して、
真帆は雨に消えた。

凪は昇降口を出られずに
その場に立ち尽くしていた。

雨が壁を強く叩き、
心臓の音を消していく。

「凪?」
振り返ると、悠真が立っていた。

手には深い紺色の折りたたみ傘。

「傘、持ってないよね」

「……うん」

悠真は、何も言わず傘を開いた。

凪の頭上に、静かな影が広がる。
「行こ」

ただその一言。

余計な気遣いを含まない、
不思議に呼吸が整う声。

二人は並んで、校舎横の小道へ出た。

雨粒が傘に当たる音が、
会話の代わりに空気を満たしていく。

土の匂いが濡れた風と混ざって、
足元の水たまりが揺れた。

しばらく歩いたところで、
悠真が口を開いた。
「今日、元気ないよね」

凪は少しうつむいた。
悠真の声は優しい。

でも、
今はそれにどう向き合っていいかわからない。

「……うん、ちょっとだけ」

「話す?」

その言い方は、
押すでもなく、引くでもない。

凪の心の扉の前に、
そっと手を添えるような声だった。

凪は、
傘の端から落ちる雨を見つめながら、
小さく言った。

「今日ね、誰かの話を聞く余裕がなかったのに……
 聞いてほしいって言われて、
 断ったら、なんか、自分が逃げたみたいで」

「逃げたんじゃなくて、限界だったんだと思う」

「限界……だったのかな」

「うん。俺にはそう見えたけど」

凪は驚いて顔を上げた。
「見えた?」
「うん。今日の凪、ずっと肩が上がってた」

肩。
自分では気づかない変化を、
悠真は見ていた。

そのことが、
胸の奥に温かさと同時に、
なぜか少し痛みも連れてくる。
(こんなに誰かに見られていたんだ……)

凪は思わず口を開いた。

「ねぇ、悠真。……
 私さ、今日、
 誰かに“優しくいたくなかった”んだ」

言った瞬間、胸がきゅっと縮む。

こんな本音、
誰かに伝えたことがない。

雨音が大きくなる。
風が傘を少し揺らす。

返事が来ない。

(悠真……?)

沈黙が深い。

凪の不安は、
その沈黙の中でひどく響く。

(ひどいって思った?
 優しさがないって、失望された?
 “らしくない”って思われた?)

心の中で、言葉の無い不安が増幅していく。

沈黙。
沈黙。
沈黙――

凪が耐えきれなくなり、足を止めた瞬間。

「……それ、やっと言えたんだね」

悠真の声が、
雨音の向こうから落ちてきた。

驚くほど静かで、深い音だった。

凪は瞬きをした。

「やっと、って……?」

「前から思ってた。
 凪は、優しさで自分を縛ってる
 ところがあるって。
 本音を言うの、ずっと怖かったでしょ」

凪の喉の奥で、熱がゆっくり広がる。

雨なのに、
目の奥に熱いものが溜まっていくのがわかった。

悠真は歩み寄り、言葉を続ける。

「優しくいたくない日があるのは、普通だよ。
 俺なんてしょっちゅう。
 でもさ……
 “そういう自分”のまま
 誰かに会うのが怖いんだろ?」

凪はうなずけない。

でも、否定もできなかった。

「だから、今日言えてよかったと思う」

悠真は傘を少し傾けて、
凪の方へ寄せた。

二人の肩が、
かすかに触れるか触れないかの距離。

「雨の日の沈黙ってさ」
「……うん」

「安心させる沈黙と、
 不安にさせる沈黙の2種類があるんだって、
 今日気づいた」

凪は少し笑った。
「どっちだった?」

「最初は、不安にさせたかも」
「うん……ちょっとね」

悠真は照れたように笑う。
「でも今は、安心の沈黙でいたい」

その言葉に、凪はようやく息を吐けた。

雨の音は消えないのに、
心の中では雨が止んだみたいだった。

家に着いた凪は、
濡れた靴を脱いで部屋に上がると、
すぐ日記を開いた。

《今日の気づき》
・沈黙には、安心の沈黙と、不安の沈黙がある。
・“優しくいたくない日”は悪い日ではなく、本音に気づく日。
・わかってもらうことより、
 “わかってほしいと思う気持ち”を伝える方が大切。

最後に、一行書き足す。

・雨の日は、本音が落ちてきやすい。

スマホが震えた。

《無事着いた?濡れなかった?—悠真》
《少しだけ。でも大丈夫だよ》
《よかった。明日は晴れるといいな》

凪は少し迷ってから、こう送った。

《私も。心もね。》

送信して、画面を伏せる。

胸の奥で、
今日いちばん静かな余韻が広がっていった。

――雨音の中の沈黙。

本音がこぼれても、
離れない人がいるということ。

それが今日、凪が知った 
“やさしさ” の名前だった。
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