風が少し冷たくなった。
夕暮れのグラウンドに、砂ぼこりが舞う。
練習を終えたメンバーが次々と荷物をまとめ、
小さな笑い声がちらほら戻ってきていた。
柚はゴールポストのそばに腰を下ろした。
夕日が金色に光って、
汗に濡れたスパイクの縁がきらりと反射する。
まだ、何も“元通り”じゃない。
けれど、“終わった”とも思わなかった。
陽菜が近づいてきた。
「……キャプテン、ちょっといい?」
柚が顔を上げると、
陽菜は手にノートを持って立っていた。
「先生が言ってた“できたことノート”、
……やっぱり、書けないや」
「どうして?」
陽菜はため息をついて、
グラウンドの土を指でつまんだ。
「何もできてないから。
あたし、去年の試合で外したシュート、
今でも夢に出てくる。
“できたこと”なんて、何もない」
柚はその言葉を聞きながら、
かつての自分を見ているような気がした。
(分かるよ……。
私も、ずっと“やめなかった”以外書けなかった。)
「陽菜」
「うん?」
「“できたこと”って、上手くいったことじゃないと思う」
「……じゃあ、何?」
「それでもここに立ってること。
それだけで、できたことなんだと思う」
陽菜はしばらく黙っていた。
風が二人の間を抜けていく。
「……そんなの、書いてもいいの?」
「いいよ。私は毎日、それしか書けなかったから」
陽菜がふっと笑った。
泣き笑いみたいな、
どうしようもなく人間くさい笑顔だった。
その夜、陽菜はノートを開いた。
ペンを握って、ためらいながら一行だけ書く。
「今日、できたこと──まだここにいる」
書いた瞬間、
胸の奥に溜まっていた何かがすっと軽くなった。
ページの端が少し濡れていたけれど、
拭こうとは思わなかった。
翌日。
放課後のグラウンド。
雲が流れ、風が少し生ぬるくなっていた。
練習の途中、神谷先生がふと立ち止まって言った。
「おい、みんな。少し休もう」
全員がボールを止める。
先生は砂の上にしゃがみ、
手で土を掬いながら言った。
「お前たちは、この土に何を残したい?」
誰もすぐには答えられなかった。
陽菜が最初に口を開いた。
「……悔しいまま、終わりたくない」
柚が続けた。
「泣くためじゃなくて、
笑うためにボールを蹴りたい」
先生は小さく頷いて言った。
「なら、そこに立て。
どんなに泥まみれになってもいい。
立つことをやめなければ、
“負け”は来ない」
その言葉に、全員の顔が少しだけ上を向いた。
夕方、風が吹いた。
白線の上を砂が流れる。
ボールが転がる。
誰が蹴ったのか分からない。
けれど、その音はもう“迷いの音”ではなかった。
柚は思った。
(たぶん、強くなるってこういうことなんだ。
勝つよりも、負けを引き受けて立つこと。)
遠くで神谷先生の声が響いた。
「よし、もう一度、最初からやろう!」
声が広がる。
グラウンドを包む風の中に、
笑い声とボールの音が混ざっていた。
──続く。