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好きな気持ちは、簡単に消えてくれない

放課後の教室は、まだ少しだけざわついていた。凪は机の中を整えながら、無意識に悠真の方を見てしまう。悠真は、窓際で男子と話していた。笑っている。楽しそうに。(……あんな顔、最近見てなかったかも)胸の奥が、ちくっと痛む。凪は視線を落とし、カバンの持ち手をぎゅっと握った。(今日は、一緒に帰らない方がいいかな)そんな考えが浮かんでは、消える。決められないまま、時間だけが過ぎていく。「凪」不意に名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。振り返ると、悠真が立っていた。「先、帰る?」その問いかけは、やさしいのに、どこか他人行儀で。「……うん」凪は少し迷ってから、うなずいた。悠真は一瞬、何か言いたそうにしたけれど、結局、軽く笑った。「じゃあ、気をつけて」その笑顔が、今日いちばん胸に刺さった。凪は教室を出る。廊下を歩きながら、後ろを振り返りたくなる衝動を、必死に抑える。(私が離れた方が、楽なのかな)自分に言い聞かせるように、そう思おうとする。昇降口で靴を履き替え、外に出ると、冷たい空気が頬に触れた。夕方の空は、もうすっかり色を失いかけている。(今日は……ひとりだ)それだけのことなのに、足取りが重い。帰り道、ふと立ち止まる。以前、悠真と並んで歩いた場所。笑ったこと。何気ない会話。肩が触れそうになって、慌てたこと。全部、まだ近くにあるのに、もう戻れない気がしてしまう。「……ばかだな」小さくつぶやいて、凪は歩き出した。好きな気持ちは、簡単に消えてくれない。だからこそ、この距離が、こんなにも苦しい。夕暮れは、何も言わずに沈んでいく。凪の胸の中だけが、取り残されたままだった。
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悔しいまま、終わりたくない

風が少し冷たくなった。夕暮れのグラウンドに、砂ぼこりが舞う。練習を終えたメンバーが次々と荷物をまとめ、小さな笑い声がちらほら戻ってきていた。柚はゴールポストのそばに腰を下ろした。夕日が金色に光って、汗に濡れたスパイクの縁がきらりと反射する。まだ、何も“元通り”じゃない。けれど、“終わった”とも思わなかった。陽菜が近づいてきた。「……キャプテン、ちょっといい?」柚が顔を上げると、陽菜は手にノートを持って立っていた。「先生が言ってた“できたことノート”、 ……やっぱり、書けないや」「どうして?」陽菜はため息をついて、グラウンドの土を指でつまんだ。「何もできてないから。 あたし、去年の試合で外したシュート、 今でも夢に出てくる。 “できたこと”なんて、何もない」柚はその言葉を聞きながら、かつての自分を見ているような気がした。(分かるよ……。 私も、ずっと“やめなかった”以外書けなかった。)「陽菜」「うん?」「“できたこと”って、上手くいったことじゃないと思う」「……じゃあ、何?」「それでもここに立ってること。 それだけで、できたことなんだと思う」陽菜はしばらく黙っていた。風が二人の間を抜けていく。「……そんなの、書いてもいいの?」「いいよ。私は毎日、それしか書けなかったから」陽菜がふっと笑った。泣き笑いみたいな、どうしようもなく人間くさい笑顔だった。その夜、陽菜はノートを開いた。ペンを握って、ためらいながら一行だけ書く。「今日、できたこと──まだここにいる」書いた瞬間、胸の奥に溜まっていた何かがすっと軽くなった。ページの端が少し濡れていたけれど、拭こうとは思わなかった。翌日。放課後の
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沈黙に潜む影

会議室に重たい空気が広がっていた。「ご意見ありますか?」という問いかけに、誰も手を挙げない。視線は下を向き、紙をめくる音だけが妙に響く。ただの沈黙が、時間とともに「責められているような空気」へと変わっていく。家庭でも同じだ。夕食の席で、箸の音ばかりが響く。言いたいことはあるのに、誰も口に出せない。温かいはずの食卓に、ひやりとした影が落ちる。学校でもそう。先生が「分かる人?」と声をかけても、誰も手を挙げない。分からないわけじゃない。ただ声を出すのが怖い。その沈黙が、かえって互いを遠ざけていく。……そのときだ。見えない番人が、薄暗い隅で笑った。「いいぞ、そのまま誰も話すな。 沈黙は最高の餌場だ。 言葉がないほど、不安は勝手に膨らんでいく。 “何を考えているのか分からない”──その想像こそ、人の心を壊す」囁きは空気に溶けて、沈黙をさらに重くしていく。誰も何も言わない。その「何も」が、人を縛りつけていく。……しかし、その時だった。「……ありがとう」かすかな声が空気を切り裂いた。誰の声かは分からない。でもその一言は、沈黙に小さな灯りをともした。重苦しい空気が揺らぎ、ふっと柔らかくなる。沈黙はときに不安を育てる。けれど、一つの言葉があれば、沈黙はやさしい静けさへと変わるのかもしれない。不安の番人は一瞬だけ、笑みを止めた。そしてその場には、確かに人の温かさが残されていた。
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