インターナショナル・スクールのGWの宿題

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ゴールデン・ウィークが始まりました。いい天気に恵まれましたね。
初夏とはいえ、天気の移ろいが激しく、気温が昼夜でかなり違うので、体力的にも結構疲れていて、

この休み中は絶対どこも出かけずにごろごろしていたいなぁ!

と思ったんですけど、子供たちに課題が出ていて、協力するため、散歩を兼ねて、朝からちょっと出かけてきました。
今日も、良い天気です!!

基本的にインターナショナル・スクールでは、宿題と言うのは出ません。
他のインターの学校では出るのかもしれませんが、 少なくともうちの学校は出ません。
....というのも、当たり前の日常生活の中で学ぶことや、自分を中心とした社会との関わりを体験し、関心を寄せることの方が、子供にとってプラスが大きいと考えるからです。

ですので、日本の学校のような計算ドリルや漢字練習帳の課題が出たり、何か作業をして作品を作ってくるような宿題や課題は基本的に、日々の学校生活の中ででも出ないのです。

 日本の親からすると何か宿題を出さないと子供の学力が下がってしまうんではないか、と心配される傾向がありますが、それでもこの学校は焦りません。

 国際的な教育実験データでは、無理に宿題をたくさんやらせても子供の学力には全くつながらないことが判明しているからです。
 むしろ、子供の自由な関心や感動体験を自由に経験させることの方が、よほどその子の学力を伸ばすことがわかったので教師にとっても子供にとっても、疲労・不快でしかない、宿題という、そのような無駄はもうやめようと言うことになっているのです。
 もちろんこれは 小学生のカリキュラムなので、もっと思考力が伸びて発達してきた中学生以降はまた事情が変わるのかもしれません。

 ですので、校長先生はじめ教師は、この小学校の時期に心掛けているのは、子供が日々を楽しいと感じながら、自分が夢中になれるものに自由に取り組み、感動して生きていく日々を過ごせることを優先して教育しているということです。
 そして親もその意図に従って、国際教育を学び、子供を取り巻く環境づくりから応援していくと言うスタンスです。

ですから、昭和時代の親は、あるべき小学生の生活イメージを変えなくてはならず、親自身が大きなトランスフォーメーションをしなくてはならなくなります。 戦前の親が戦後生まれの子供たちのジェネレーションギャップに非常に葛藤したように、それまでの正しいとされていた、知らずに心の中で設定されていた規格基準や価値観を、心の中で手放したり、塗り替えたりしていくよう意識改革の作業が親として必要になってくるのです。
 子供は環境から非常に大きな影響を受けていますので、親は何も負担を背負わず、子供だけが変われと言うのは絶対に無理な話なのです。

したがって、お金があって、いくら英語づけのインターナショナルスクールに子供をポンと入れたところで、親自身が変われる人でなければ、 子供は日本人としても、英語圏の人間としても、所詮中途半端のままで、最悪、ただのお馬鹿さんになってしまうだけです。
 自分自身も成長していきたいと思える人が、この特殊環境の強みを生かしていけると言うことです。その分、一般的なイメージと違って非常に大変なところがあります。

まず、 やりとりは基本的に英語です。
先生方は基本的に日本語が話せません。 文章は英語で通達されます。一応翻訳機能もあるのですが、翻訳したところで何を指示されているのかよくわからないと言うことがよくあり、やっぱり原文で読まないと意味が通じません。
 向こうにとって当たり前の感覚が、こっちにはわからないので、もちろんですが、全てにおいて相手がどのような考えでそれをやっているのかと言うことを 確認し、お互いにコミュニケーションを取る必要もあります。

 別に学校から親のTOEICやトーフルなどの点数を求められる事はありませんが、基本的に親が英語でやりとりできる、と言うことが前提での入学許可になります。英語が得意であれば楽かというとそうでもありません。
  学校の教科で出てくる専門用語や特殊な単語などもありますので、いちいち辞書で調べながら、日々の報告を受け取る必要があります。
文章も、日本語でものを考える人が組み立てる英語の文章の構造と、本当に向こうのネイティブで、英語が母国語として組み立てる文章の構築の仕方はだいぶ違うので、 本当にガチのネイティブの先生の書く文章で、その上さらに高度な教育を受けてらっしゃる先生の文章を読むときは非常に理解に苦労します。

 新生活や引っ越しにより、そもそもいろいろなトラブルが発生し、日々生活リズムに乗るのに苦労している時期なので、 日本語の思考ベースでトラブル対応に追われている人間としては、先生に笑顔で心配されたり話しかけられたりしてもらい、本当にその気持ちは優しくありがたいのですが、 わかっていながらも、もはや聞き取るための容量や脳が働くなくなってきます。

ちょっと、すみません!
英語を聞かない読まない時間を作りたい!
 ちょっと休憩!休憩!
と流石に言いたくなります。w

でも容赦無く、英語は降ってくるのです。
そんなわけで、この長期休暇は親にとっては、非常にありがたい ワンクッションになります。

 そして、この休暇が子供たちにとって非常に良いチャンスであると考えている先生方は、家庭での学びとは?と、国際教育上の考え方を資料でまとめてくださっているのですが、実際、それを実践するのに必要になる親が求められる意識はかなり高度です。
 学校からは、親業ということのお話があり、時代がこれまでとは完全に違っていることから、適度に放置していれば、子供は勝手に育つという考えは捨ててください、と言われています。そして、子供の環境の一部として自分が存在している、という影響力の大きさを認識して子育てすることが求められます。
 そうはいっても具体性が普通の日本の親にはよく分かりませんので、気を利かせたインターの日本人の教師が、ゴールデンウィークの学習に使いやすい学習ツールを考えて、提供してくれました。

それが、ひらがなビンゴ!
小学校での授業では今、ひらがなを学んでいます。
単にドリルをなぞらせる、教え込む、というような授業ではなく、まず子供自身がひらがなに関心を持つと言うこと、自分が社会生活を送る上で、積極的にひらがなを学ぶ必要性を認識していくことから始まります。

そのために、生活の中でこんなにひらがなが使われていると言うことを子供たちに気づいてもらうために、先生が用意してくださったツールは、9つのひらがなの文字をビンゴにしたものでした。

 「家の中で見つけても良いのですが、家族で外に出かけた時、文字探しをしてください。そして、この文字が単語の1番最初に使われていれば、その文字を書きなぞり、9つのマスのビンゴを完成させていってください」
と言うゲームだったのです。
お姉ちゃんの方は、漢字でそのビンゴが作られていました。


今、京都は海外の方を含め、観光の客足が非常に多くなっていますので、飲食店はどこも満席。バスも満員。
この休みのシーズンを混雑の中で過ごすのもまた疲れるので、
億劫だなぁ〜と出不精になっていましたが、せっかく作っていただいたので、最初に学校からお話があったように、社会生活のチャンスを学びにうまくいかす親業センスを発揮しようと取り組むことにしました。

ちょっと遠いですが、船山という標高111メートルの山があります。そこは織田信長を祀った神社があります。信長について、子供と話しながら頂上に登ると、軽いランチをとりながら、さらに先へ。

そもそも、ちょっと歩いても京都市中は、さまざまな史跡が散歩道の中にあります。紫式部が晩年を過ごした寺や、築百年以上の町屋に立ち寄れば、大工の優れた技や当時の生活をお話しくださる方がいたり、和菓子ミュージアムがあって、茶道の作法を聞いたりと、子供にとっては、普通の散歩がそのまんま、伝統文化の勉強や歴史を学ぶ散歩になるんですよね。
先日五条へ行った時には、子供たちにここで何があったのか。牛若丸と弁慶の五条大橋で育んだ友情についてのお話を聞かせてあげました。

 玉堂星のたまちゃんは、玉堂星らしく歴史が大好きで、人物伝とか読み込んでいますので、基本的なことは頭に入っているのですが、年号を覚え、人から言われた情報をそのまま信じて知識にするのではなく、実際に現地を通して、自分でも納得しながら習得していくことができるので、やっぱり京都移住は正解だったなぁ、と思います。

そんなわけで、今回はビンゴのために、近くの上京区・北区の雪舟の寺で有名な大徳寺やその一帯の氏神様である今宮神社をゴールとして、ひらがな・漢字を探しながら散歩したんですよ。

でも、子供なんで大人のように知識習得だけで満足するわけないので、ひらがなビンゴは食べ物と結びつけました。
 わらび餅の「わ」を見つけたり、公園の自販機の中の麦茶のタイトルがやかんで沸かした麦茶だったので「や」が見つかり、麦茶を飲み、ゴールの今宮神社で名物、あぶりもちの「あ」を見つけて、その店の名前がかざりやなので、「か」もクリアし、あぶり餅を食べ、お腹を満たしながら、ビンゴ全てのライン完成〜〜!!!
 子供たちは言葉をみつけながら、京都の美味しいものめぐり、となったのでした。美味しい記憶と共に見つけたひらがなワードは今後もずっと忘れないことでしょう。


 写真はそのあぶり餅です。あぶり餅は、柔らかいつきたてのお餅をコロコロときな粉を塗した畳の上で整形して練った後、串に刺して、炭火で焼きます。
表面がパリパリになってきたところへ、白味噌を甘く溶いたあんかけがかけてあるものです。(ブログのトップの写真参照)
 甘いですが、疲れた時の一服としては、非常に美味でございました〜。

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ちなみに、この今宮神社は、人よんで玉の輿神社と言われています。
江戸初期のお話です。もともとこの近辺の八百屋さんの子供で、たまさんという女の子がいました。彼女は庶民階級でありながら、最後には将軍家光に見染められ、大奥の側室にまで成り上がることになった人です。たまさんは桂昌院という名前をもらい、五代将軍を産みました。

江戸のシンデレラ・ストーリーですね。
従って、この神社は女の子のサクセス・ストーリーを代表するたまさんが再興した神社ですので、「玉の輿神社」と呼ばれているのです。
 風の時代は、女性が活躍する時代ですから、注目の神社です。

 そしてうちの長女はたまちゃんですので、なんというご縁でしょうか。
 しかも彼女の宿命も宿命だけに、ここを氏神様とすることになったことには、プロファイラー的には運命的なものを感じますね。彼女の宿命を知ることになり、人生を預けられたことを思うと、きちんと親として彼女の宿命を開花するために尽力せねば、と心引き締まる思いです。

 お店のお庭も苔玉が吊るされ、涼を感じる、なかなか風情のある作りです。

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そうそう、東に行くと、子供は、周りから、ウルセェなぁ〜親ならなんとかしろよ!という目で見られ、迷惑の対象になりますが、西は子供を連れて行ってもそういう態度に出くわしたことは未だありません。

 子供のやることだからね、とクスッと笑うことはあっても、そんなことにいちいちめくじらを立てる方があまりいない。むしろ声かけて手助けしてくださる方が多く、優しいんですよね。子育て中の親としては、そういう周りのおおらかな反応にかなりホッとさせられます。
 京都の人に聞くと、京都の洛中と洛外でも違うそうで方位によっても人の質がガラリと変わるところがあるので、一概にいえない部分はあるでしょうが、少なくとも自分は嫌な思いをしたことはないです。
さすが京都は玉堂星の都市です。

 玉堂星は、子供思いの星ですから、子供の成長や子供のことを非常に考えます。自己実現を目指しすぎて、めんどくさい子育てをお金の力で外注したり、神田うのさんのイメージのように、いかにも子供をアクセサリーにするような都心にいるような煌びやかな親はむしろ少なく、京都では、全体的に、保護者も母らしい母、慎ましやかな方が多いですし、父も母も祖父母も血のつながらないご近所の人まで、京都社会全体が子供の幸せを考えて、子供の事情を優先して生活している傾向があります。玉堂星は子煩悩の星ですから、まさにそういう傾向が出ていますね。

逆に東の経験は凄まじいものが多かったです。伊豆に行った時は最低で、外が気象条件が悪くてものすごい寒さであっても、地元の普通の(別に高級でもなんでもない)店がみな入り口に立った途端「子供づれお断りだから。うるさいから」と追い出します。寒さで幼児の唇が紫になっていても、店に入れてくれない。人としてどうなんだろう、って、何度怒り心頭になったことか。
(嵐が来てて、休憩場所が他にあるわけでもないにもかかわらず、どこもそうなんですよ。腹たつので基本的に伊豆ではあまりお金を使いません。)
東京のバスも最低で、子供が車内でおとなしくマスクを着け続けられないことを理由に、バス停に置いて行かれた経験もありました。

 でも、京都でそういう目にあったことは、まだ一度もないんですよ。むしろ、かわいいねぇ〜と、どの方もめくじら立てずに非常に可愛がってくださる。

 観光都市でも、伊豆とのこの違い。
西はやっぱりいいなぁ、きてよかったなぁ。
と、西の人のあったかさに、毎度感銘を受けています。


宿題もミッションクリアしたし、子供たちもそんなに遠くない地区での美味しい旅になりました。

詐欺事件のその後の話がまだ書き途中なんだけど、先に平和な日常の記事をアップしておきます。






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