意識のエネルギーの世界を解明したい

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こんにちは、実学算命学Jemmyです。
今日も読んでくれてどうもありがとう!
お礼写真シリーズw。こちらも友達からいただいた、ある神社のスポットで撮った写真だそうです。高次の光だとわたしは思いました。
だから、これを見たひともきっと今日1日恵まれるにちがいないw。
(勝手に思い込むことにする。)
「こういうのってサァ、カメラのレンズの加減なのかもしれないよ」って、いう話もあるけども(うん、確かに)・・インドの聖者は修行の時に、そんなこと考えるな、感動したこころのほうを大事にしろって言っていました。

え?なんでかって?
その写真を見て、自分の意識がどうなったかのほうが写真の科学的な分析より、自分にとってよほど重要だからなんですよ。

写真を見る→いい写真だと感じて、いいエネルギーを呼び込む準備ができる→宇宙からエネルギーがなだれ込む。→現実変わる。開運

が本質だからなんですね。
写真そのものが重要なのではなく、写真をみた自分の意識が問われてるからなんです。科学的事実はもちろん大事です。でもそれを踏まえながらも、素敵だね!って思えたら、テンション上がって、その人はそこから多くの恩恵を受けていることになるんですよ。
それを取りこぼすのはもったいないでしょ。
物理的事実と、高次元の事実の両方を受け取ればいい。
争う必要なんてない。
どっちにも偏ることなく、両方のバランスを取ればいいだけなんですよ。
統合ってそういうことなんだよね。

並木良和さんも同じことを言っています。
「ポルターガイスト現象(だったかな?)が起こるわたしの部屋、どうしたらいいでしょうか」ってご相談のときに、「自分の中で最高のいい状態の光のイメージをして、それが部屋じゅうに広がっていくように意識すればいいだけだよ」って。

昔は、嫌な空間に対しては、祈祷師さん呼んでお祓いしたり、部屋にお札や盛り塩をする方法が一般的でしたね。
でもそれも「お祓いしたし、もう大丈夫」とか、お札を見る、盛り塩をみる、その時に自分の意識がどう変化するかということのほうが、実はキーポイントなんですね。

例えば、わたしは、空海が自分のメンターだと思っています。
お大師様をイメージするととても深いつながりと父性愛をそこから受け取り、絆を感じます。実際に何度も修行中お大師さまに助けられた経験があります。
だから、空海由来のお札をみると、「今日も守られてるな」と感謝します。

 それはね、空海が実際にいて、守ってくれているという証明が大事なのではないんです。そういう意識になれる対象が自分の中にあることや自分をそうやって理由づけして引き上げていける意識の方が大事なんですよね。
それは決して人生受け身ではないです。空海への依存でもありません。

 自分の意識が実際にその空間を守るから同じことなんですね。
つまりね、お札それ自体が大事なんではなくて、そこから自分の意識がどう変化するかというところに、護符の本当の意味があるってことなんですね。

だからね、ヒンズー教では聖者の写真を飾るんですよ。
ようするに写真はその人の情報を転写したものですから、その写真がポータルとなって、その聖者につながる清い高次のエネルギーをあなたにつなげるために、時空を超えたゲートになります。イメージはどこでもドア。w
 その聖者の写真を見て、意識の準備をして、高いエネルギーを受信する。
毎日そういう習慣がつく。おかげさまがつく。そういう理由で飾ってるわけで、仏像とかも偶像礼拝っていうのは解釈が違います。仏像それ自体は、ただの物質。でも、意識が動いてそれによって変えられる自分の意識があれば、なんでも仏像にかわるものはできる。そしてそれは高次元のポータルと呼べる。
 家族の写真を見たら、家族とのつながりを感じますよね。それだって同じことが起きているんですよ。
ちょっと難しいかな??w

日本の神棚も同じことです。祈ったり、拝んだりというのは、神様のためにやっているのではなく、自分のため。「神」というなにか媒体をきっかけにして、自分に高いエネルギーを毎朝毎晩おろすためにやっていたんです。
 昔の日本人がやっていたのは、朝夕神と向き合い、その時集中して自分を高い意識に引き上げて、1日のネガティブなエネルギーを溶かし、祓い清めること。掃除も同じです。掃き清める意識でやれば、自分のオーラもクリアになります。瞑想と同じですね。

何教かということは問題ではなく、ひとびとはそのメリットを知ってたから、媒体はなんでも良かった。仏壇や神棚は日本人にとって、自分の高い意識との交流の時間であれば良かったし、実際それができてるひとは現実も恵まれた。
つまり、自分と向き合う時間なんです。
だから、神道のご神体は「鏡」でしょ。w
神=自分(が写ってる。)

だから神様たすけてください〜と「必死になって願う」よりも「感謝」の方が、開運するわけです。
でも3次元だけみていたら、神がだれなのかわからないけど、ほんとは自分こそが3次元リアルを創っていく力をもつ神なんですよね。
「たすけてくれぇ〜」って、飢餓のエネルギーを出す必要なんてないということです。
「今月もこんなに嫌なことがありました〜たすけてください〜」
って言ってるくらいなら、

ちょっと冷静になって、神棚の前に立った時
「もう、こういう遊びはやめようよ・・自分・・(汗)」
って自分に言いましょう・・ってこと・・。

並木良和さんが皆さんに伝えたいのはまさにそこ。そういうことなんです。(並木さんごめん、勝手に代弁してw)

これはね、なにもスピリチュアルの話だけでなく、天才哲学家の宿命・心屋仁之助さんによって人生が変わった方がブログでよく綴る、なんちゃって自分不幸詐欺やってましたみたいな、自分騙しのテクニックの真髄にも同じ本質があります。心屋さんのところでは、イリュージョンや自分ストーリーにどっぷりはまり込んで抜けられなくなる遊びをしていることに、心屋さんとの禅問答で心屋さんのお弟子さんがみんな気がついていくんです。
前にカウンセリング体験をしたことがあって、なるほどなぁと思いました。
でもこの意味がまだつかめないひとは心屋さんをネットで叩いてますよね。(禅は理屈ではわからない、自ら境地に立たないとってこと。)

これが「目覚め(悟り)」ですね・・。w

算命学だって同じなんです。
既存の算命学は、現れ出た物理的な現象を動かすことがメインの考えで広まっています。でもエネルギーは川の流れのように川上から川下へ流れる。
すでに現れ出てしまった川下の現象をいじっても、小手先でしかない。
そこに気がつかない鑑定士さんがさらに相談者の現象を固定する意識を植え付けてしまう。「わたし、こういう運命だから、ダメなんだ・・」ってね。
だから算命学の鑑定は、これまでなかなか人を救うことがなかったんです。
鑑定士さんが悪いんじゃなくて、そういう時代だったんです。
現代には昔の算命学の破片を集めたものしか、残ってなかったからね。

私が過去生で使っていた算命学はそういうものではなく、
川下を変えたい人が、まずはステップバイステップで川上の状況を変えるために、自分の意識のエネルギー環境を整えるための知恵だったし、3次元の時をはかる学問だった。

分野を問わず何人もの人が、あなたには天からのなにかを「伝える役割がある」と言い続けてきたけど、自分の宿命を眺めて考えても、これを伝えることが多分役割なんだと思う。

でも、そうはいってもねw
その仕事をここでさせてもらうためには、私一人ではできないんです。
実学算命学をわたしに使ってください、って言ってくれる人が現れないと。
社交ダンスと一緒で、いくら踊りたくても一緒に手を繋いで曲に合わせて踊ってくれる人がいないと、踊りは成立しないんですよね。w

私が最近、仕事をしていて教えられたのは、本当にそこで。w
これまで常になんとかなってきたこともあって、子供の時に貧乏な生活を強いられたことはあっても、だからと言ってそれで必死になったことはなく、意識して現金をもらうことをほとんど真剣に考えたことがなかったんですよね。

 というのも、わたしには昔、招き猫というあだ名があったんですけど、最終的に私の入社タイミングで売り上げが上がったりしてて、パートナーの給料も結婚後は数倍に上がっています。(だから本来、家庭の外に出してはいけないとされる。)
 その関係で物質にこだわりなかったために気前よく、また他方でなんでもひとからプレゼントされてて・・・正直成人してから困ってたことはひとつもないし、海外旅行は懸賞で当たってたし、まぁ、ほしいと思うものはガツガツしなくても、結局なんでも入ってきてたと思います。(汗)
 財運は、無形の財運として消化されてて、だから現実がそうなっていた。
自分が必要だと思わなかったので、自分が自分の財のエネルギーの関を開けることをしてこなかったんですよね〜(汗)。
 そんなわけでプロファイリングも、多くの人に特に宣伝したり売り込みしたりしなくても、普通の関わりの中で私を知って、みてほしいと言ってきてくれて。私もやってあげてる、という気持ちで看板も出さずに口コミだけでプロファイリングをしてきたわけなんです。w 

だからね、自分が得た実学算命学は自分のために大活用してきたけど、それを世の中の必要なひとに提供する、ということまでは、本当のところ、あんまり真剣に考えてはこなかったんですよね・・。
算命学は他にもたくさんあるし、なにも自分がやらなくてもいいだろう、って周りのやりたい人にお任せする気持ちもあった。
だからなんだかんだ言っても、「子育てで苦労するという」好きなことをやって暮らしてた。

「もう、その時が近づいてる、なにやってるの!」とチャネラーさんにケツを叩かれて、そうなのか。と思うまでは。

だから仕事する時も、誰かにサービスでしてあげてるという気持ちが強かった。

でも、それって、そうなんだろうか・・?
と、ここ1週間で急に気がついたッw!
いや、ちがうわ。
仕事を通して、自分のこの世での役割を果たさせてもらってるんじゃん?!
と。だから、自分がしてあげてるってのはちょっと違う。

どんなに自分が「これ、いいよ、使ってみな〜」って旗をふっても、
「じゃあ、みてみて♪」っていって、のっかってくれるあなたがいないとこの世での仕事は完結しないんだという、ものすごく当たり前の事実に気がつかされたってことね・・。

だからね・・自分がいくら仕事をやろうと思っても、この仕事は、自分一人では果たせないんですよね。何曲踊ろうとしても、いっしょにダンスを踊ってくれる人がいないと、社交ダンスは成立しないのとおんなじ。

つまり、この世ではお客様の役をしてくれる(エネルギー世界では)「光の柱」であるあなたが自分の仕事に関わってくれるから、3次元生活を維持しながら、(多次元では)光のお仕事を完結させてもらえるんですよね。

だからこれまでの人たちには、本当に感謝だし、これからやってくるたくさんのお客様にも本当に感謝だし、心から歓迎だなって思えてきて。
とにかく、よくプロファイリングに来てくれてる方、記事を読みに来てくれる方、本当にありがとうという気持ちが湧き上がってきてね・・・ぐっときた。w
だからね、月並みな言葉だけど、きてくれて、今日もありがとう!
夕方からの仕事も頑張ります⭐︎

あなたにも良い素敵な1日が待ってますように!w

Jemmyでした。





















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