年齢と共に依存的なところを減らせてきたと思っている。
依存自体は悪い事ではなく、成長過程で必要なタイミングがある、と
認識している。
私の場合、自分の内側が空っぽで、
「決める」基準のようなものが全く育っていなくて、
自分で決めることが本当に苦手で、
人の意見や反応を無自覚に重視していた。
私がどうしたいか?ではなく、
あの人にどう思われるだろう?が中心だった。
あの人はきっと応援してくれる、
でも、あの人にはきっと呆れられる・・・
気持ちがグラグラとして、頭の中がそれで一杯になり、
考えても考えても分からず・・・
そうやって随分の時間が流れていった。
自分は何もできなくて、
「成長」や「前に進む」ということができず、
同じところに立ち止まってばかりいるようで、
そのことがすごくイヤだった。
それが「私はダメだ」という思いに強くつながっていたと思う。
周りの人が簡単にできているように見えることが、
どうして私にはできないんだろう?
自分の存在を自分が強く恥じていたように思う。
・
・
・
・
長い時間を掛けて、そこから少しずつ脱出していった。
自分の内側の「空っぽ」の部分に、
・今、何を感じているか?
・今、どんな感覚か?
自分自身を感じて、どんな感覚が身体を占めているのか、を
1つ1つ拾い上げ、積み上げ詰めていった。
こんなことをして意味があるの?と何度も思った。
もっと分かりやすく効果がでるもの、
現実が良い方向に動くものはないのかな?と思っていた。
遠回りしているように思っていたんだと思う。
・
・
少しずつ、自分の内側の感性のようなものを感じ始めるようになって、
「自分は空っぽ」という印象が減っていった。
「生きたい」というエネルギーも大きくなってきて、
・どう生きたいか?
・私の人生を使って成し遂げたいことは何か?
・私が本当に手にしたい未来は何? と
考えられるようになった。
考えられるようになったからと言って、すぐに答えが出た訳ではない。
右往左往しながら、諦めそうになりながら、
でも諦められなかった。
私の場合は、本当に腑に落ちるまで数年かかった。
たくさんのエネルギーを使って、たくさんの体験をして、
たくさん感じて、たくさん考えてみた。
忍耐力が必要だった。
それくらい自分の内側の「本当のこと」からかけ離れたところを
ずっと生きてきたんだ、と思った。
そんな状態で今までよく生きてきたな・・・過去の私が
どれほど傷ついていたのか、
やっと自分で認められてあげられるようになったように思う。
もっともっと「できる私」へと努力するのではなく、
「もう十分」「大丈夫」という思いを
しっかりと自分に染み込ませていった。
自分で自分を安心させてあげられることに意識を向けた。
・
・
自分のために自分のエネルギーを使っているとき、
とても良い感じがする。
最近そう感じるようになった。
自分の世界と外の世界の境界線のようなものが、
よりしっかりと持てるようになってきたからだと思う。
外の世界で不安定なエネルギーを感じたとしても、
自分の世界と切り離して捉えて飲み込まれなくてもいいことを学んだ。
これまで自分の世界のエネルギーをすぐ外の世界のエネルギーと
同化させてしまい違和感を感じていたことが分かった。
私は私の中のエネルギーを私が望む方向に使っていい。
現実を変えようとせず、
今、この瞬間に私がどんなエネルギー体でいたいか、を
「自分で決める」ことが、結果として現実を引き連れてくるのだと思った。
目の前の現実に怯えなくていい。
目の前の現実から不幸を探さなくていい。
今の私はそう思っている。