真ん中が育っていない

真ん中が育っていない

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コラム

長らく自分を「空っぽの人間だ」と思っていた。
実際に空っぽだった。

いつもその場その場で流されていて、
そのことに嫌悪感があるのだけれど、

でもそんな自分にどう対処してよいか分からず、
自分自身に呆れ、ひどく疲れていた。


自分の真ん中
自分の芯
自分の軸
自分の内側


そういったものが全く育っていなかったのだ。


育った家庭にそんな文化がなかった、という感じ。


真ん中が育っていないと、ありとあらゆることが
ゆらゆらと揺れて定まらず、


これでいいのかな?
あれで合っているのかな?と

不安につきまとわれて心が窮屈になる。

こんなことが四六時中だから、頭の中・心の中は
いつも忙しい。


過去のことを嫌というほど反芻するクセが常態化し、
いつまでも答え合わせを求めてしまう。
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カウンセリングを受けるようになって、
自分の真ん中が少しずつ育っていくのを感じられた。


育っていくにつれて、真ん中がないから今まで苦しかったんだ!と
理解できるようになった。


苦しさの渦中にどっぷりのときは、知らなかった・気づかなかったことだ。



今、自分がどう感じているか?
今、どんな感覚か?



私は忘れていたのだが、カウンセリングを受け始めたころ、
カウンセラーに「感じることの大切さ」を教えてもらった際に、
「感じるってなんですか?」と質問したらしい。

それくらい真ん中が空っぽだった。



アダルトチルドレンの本を読んだ際、
特徴として「自分のことを語れない」と書いてあった。


真ん中が空っぽとは、そういう感じだと思う。


「私は」がないのだ。


自分で自分自身を感じられないから、「私は」にならない。


私はいつも母が基準となっていた。


意識的に「基準にしよう!」としていたのではなく、
無意識に無自覚に「基準」にしていた。


意識的には「母と同じような生き方はしたくない!」と思っていたから、
私は母とは違う!と抵抗していた。


私が私を受け入れていないから、
母を母として受け入れられていなかったのだ。


そして私と同じように母も空っぽの人だ。


空っぽばかりの人間が集まっているのが私の家族だった。

・心が感じたコミュニケーション
・本当の思いを伝え合うこと
・何を話しても受け入れられる安心感


そういったものが家庭になかった。
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今、私は家族にそれを取り戻そうと、
意識的に取り組んでいる。


私の兄妹は私も含めもう50歳に近い。
両親は70代後半になった。


遅すぎた気づきかもしれない。
でも、諦められない。

家族の本当に幸せに近づいていくために、
私ができることを日々淡々と意識的に取り組む。


家族関係の緊張が少しずつやわらいできた感じがする。
家族と心の交流ができるようになりたい。


家族がそれぞれ本当の思いを伝え合えるような、そんな家族になりたい。


それをイメージしてみると、私の魂が喜んでいるのが分かる。


私は家族を心から愛している。
遠慮せずにそう思えるようになった。


それだけでもすごい進歩なのだけれど、それだけでは終わりたくない。


日常の家族の間で、心の交流がスタンダードになるような、
そんな家族になることが、私の夢だ。





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