離婚  「息子」と「パパ」

記事
ライフスタイル

結婚率が低下しても
離婚率は高い今
子供がいても離婚を選ぶ場合に
先輩として
伝えてたいことがある。

”離婚しても、子供にとって親は親である”
ということを忘れないでほしい。

私の場合は
離婚時に
「子供が”会いたい”と言ったら
できるだけ都合をつけて会う。」と言うことを
念を押してお願いした。
一人っ子の息子の親権者は、私になった。

8月。
離婚して最初の息子の誕生日の頃
パパは息子を連れて、出掛けてくれた。

婚姻中は、仕事でさえ
朝、タイムカードを押して
すぐ帰宅し、寝て、
途中、弁当食べて、
また寝て、
夕方になって起きて、
着信があったところに電話をして
仕事に戻り
夜中に帰ってきて
朝までネットサーフィンしたり
音楽を聴いたりして
朝方1時間くらい布団に入って寝て、
起きて、
筋トレして、
シャワー浴びて、
髪の毛一本一本セットして
「朝食バック(ピクニックセット)」と
弁当を持って、
タイムカード押して
帰ってきて、寝る。

「リストラの話出たら、俺が1番だな」
と、偉そうな口調で言ってたけど
その神経がわからなかった。
休日も
長期休暇も
その生活リズムで
「俺は、若くて結婚したわけじゃない。
自分の生活リズムができている。
家族ができたからって
それを変えることはしない」と
これまた偉そうに語るから
返す言葉はなかった。

そのくせ細かい。

息子がつかまり立ちした頃は特に
「テーブルに指紋がついている。ちゃんと拭いておけ」とか
「リモコンの順番が違う」とか
「リモコンはテーブルの過度に1ミリもずらさないで並べろ」とか
リビングにあるパパのステレオのコードに触れると
音楽の音が変わるらしく
「音が違う!ぶつかったな!」と言われるけど
心当たりがあるわけでもなければ
”もしかしてぶつかったかも?”と思ったり。
”音違うかな?”と思ったり。

果物を食べようとお皿に出したって
「種がある。種くらい取れ!」とか。
イチゴを出して
「種とりますか?」と聞いても
「いい」って言うだけで、冗談も通じない。

妊娠出産の時に
私が「腰が痛い」とか
「気持ち悪い」とか「静脈瘤できた」とか言っても
「みんなそれを乗り越えて母親になるんだ。
さすったり、大丈夫なんて言ったところで治らない」と言うし。

私が妊娠して間もなく、実父が鬱になり、
私にだけに、会社を辞めたことを泣いて教えてくれた。
「死にたい」と口にする実父に
連絡がつかなくなると
私は、実父を探しまわった。
すると、
「お前の家は一人ダメになると、
みんなダメになるのか」と言って
同情も認めないし。

義母は
「結婚したんだから、
実家に帰らないでください」って言うし。

子供の世話と、家事で手が荒れても
「ゴム手袋買え」と、言われるだけだし。

それにそれに、
時間を守らないどころか
起きようともしないくせに
毎晩、時報聞いて、時計合わせしてるし~!!

って、愚痴の嵐になってしまった。
私としたことが…失礼。


まぁ、そんなパパだから
休みの日だって、
一緒に出掛けることができるのは
ちびまる子ちゃんが始まった頃。

それまで
待つのも不健康だから
朝、掃除や洗濯などを済ませ
子供を連れて散歩に行き、
スーパーが開いたら、買い物に行って、
パパが一回起きて「めし」と言う正午頃まで、
パパ用の朝ごはんと
息子の離乳食、
私の昼ごはんの支度をする。

朝ごはんを食べると、パパはすぐ寝る。
息子もその頃はお昼寝の時間だから
私は息子を寝かせる。

そして、15時頃起きたパパは、「昼めし」と言う。
昼ごはんを食べた後は、
子供を膝にのせてテレビを見たりして
おなかが落ち着いたら
筋トレ、
シャワー、
髪の毛セットの”3時間コース”!
しかも、髪の毛が一本でも決まらないと出掛けない。

思えば私は、
結婚前に不安になって
「結婚辞めたい」って
実親にもパパにも言った。

実親は、
「親戚に言ったんだから破断なんてダメだ!」
「弟が結婚して姉がしていないなんて恥知らずだ!」
「結婚すれば変わる」
「子供ができれば変わる」などと言われ

パパからは、
「ばぁちゃんの余命が短いんだ。
その前に結婚式をしたい」と言われ

その上
来年結婚の予定だったものを
義母が「年内に式場開いていたから予約してきた」
と、日取りも式場も(指輪も、家電も)
決めてくるしで
結婚式の前日は
ホント逃げることだけ考えてた。

私の直前に
長く付き合っていた彼女が婚約までして
破断になったらしく、
それに習いたい
どうやったんだろう、
今からどうできるだろう、
などと考えているうちに時は過ぎ、
逃げる勇気もなく、私は結婚式場に行った。

披露宴は友達が盛り上げてくれて
とても楽しかった。

披露宴後、パパは、
「眠いから二次会行かない。
1人で行ってきて」と言った…。

そんなことで
ずっと私が預かっていた”婚姻届”は
披露宴後も
私の引き出しの奥にあった。

年末、パパから
「事務員から言われたんだけど、
婚姻届け、まだ出していないの?」と聞かれ
怒られながら、夜中、
市役所の警備室に婚姻届けを出しに行った。

他にもいろいろあったけど
書ききれないし
思い出しても面白くない…。

と、離婚理由は人それぞれでしょうが
子供がいる場合
”子供にとって親は親”。
それぞれの親の愛情を感じて欲しいし
親を通せば親戚だって友人だって関わる人が増えるから
その分いろんな人がいることを知れるし
感謝の気持ちも芽生えやすいだろう、と
私は考えていたからだ。

婚姻中は
出掛けることが困難だったパパが
離婚後初めての息子の誕生日に併せ
面会してくれた。

息子はそれに大満足で、
「今度、クリスマスの時、パパ、これ買ってくれる」
って、イオンに行くたびに
おもちゃ売り場のプラレールの所に行き
スペンサーを指さして、
嬉しそうに教えてくれた。

クリスマスが近くなっても連絡が来ないので
パパに連絡した。

メールした。
メールアドレスは使えなくなっていた。
電話は呼び出し音になる、
ショートメールは届いていそうだ、
返事は来ない。

クリスマスが過ぎても、
正月が過ぎても、
桜が咲いても、
息子は
「パパと約束した」
「パパは?」などと言う。
「お仕事忙しいのかな」と答えるしかなかった。

息子はパパに会いたがっている。
でも連絡がつかない。

ショートメールは生きている。
私はそれからも年に数回
ショートメールを送り続けた。
「●●小学校に入学します。入学式は●月●日です」とか
「春から●年生です」とか
「●月●日運動会です。見に来て欲しいです」とか
「もうすぐ誕生日です。会いたがっています」とか
「もうすぐクリスマスです。会いたがっています」など。

3年くらい経っても
子供は「パパは?」
「パパ、スペンサー買ってくれるって言ってた」と
言い続け、
連絡が返ってこない私はいら立ち
離婚後はじめて、義母に電話した。

ら、怒られた。

「もう離婚したんですから!
子供はあなたが育ててください!
息子の人生の邪魔しないでください!」と。
悔しくて悔しくて
思い出すと今でも涙が出る。

パパとお出掛けした1日がとっても楽しかった息子は
ずっとパパを信じている。

「約束を守って欲しい。」
「息子はパパに会いたがっている」
それを燃料に
やっぱり私はその後も年に数回のメールを続けた。

そのうち
パパが結婚したことを
私は、パパの友達から聞いた。
息子がショックを受けることが想像できた。

私は実母に
「パパが再婚したって。
近くに住んでいるから
見かけても、知らないふりしてね。
大人が”パパだ”って言わないと
息子は、わからないはずだから」と言った。

その後すぐ、階段を下りてきた息子に
実母は
「パパ結婚したって。
パパが結婚できたってことは
ママがダメなんだね~」って。

「は?」と思った私。
それ以上に
ショックを隠せない息子はすぐに2階に戻っていった。

実父が亡くなってから
私のお金が無くなっているように思っていたけど
無くなる額は急激にどんどん増え、
息子は実母からおやつをもらうことを隠せないくらい
回数が増えた。
いとこ家で遮光カーテンを閉め
1日中ゲームをするようになっていたし
昼夜逆転。
不登校。
ゲーム依存。
お菓子依存。
鬱。
暴力。
などなど、
負のスパイラルのオンパレード。

パパに不登校であることを伝えたら
返信が来た。

11年ぶりに息子はパパに会った。
嬉しかったようだ。

部屋からほとんどでなくなっていた息子が
「次いつ会えるかな」とニコニコと話す。
その姿に私はとても救われた。

その後すぐ、パパと私は電話で話した。
パパは、「息子の考え方は自分に似ていると言っていた。」
”でしょうね。私には理解できませんから”と私は思ったが、
息子の考え方をレクチャーしてくれる流れだったので
そのまま我慢して聞き続けた。

婚姻中は勉強不足で知らなかったが
その後、テレビや本で発達障害を知り
”パパは典型的な自閉症スペクトラムだった!”と思っていたからだ。
そして”息子も同じ脳みその作りっぽい”と思っていたからだ。

パパの解説によると
「こっちが聞こうという姿勢じゃないときに話してもウザいだけ」
「学校の先生も同じ。自分のペースで話すから
先生の言ってることなんて頭に入らないのは当然」などなど
私の頭では想像できない考えを、次々教えてくれた。

「やはり、親子だな。わかりやすい」と
一気に理解が進んだ。

しかしその後、また連絡は滞り
息子は”1型糖尿病”になった。

連絡をした。
1度会ったようだ。

が、やはりまた連絡が途絶えた。

「あいつ死んでんじゃね」と
たまに言う息子。

未だに、パパのことを気に掛けている。

自分が子供の時を思い出すと
”子供って親に気を遣うもの”
”親に気に入られたいもの”

17歳になった息子は
パパの事情も性格も何となく理解していると思う。
だから、我慢していると思う。
寂しいと思う。

でも
それを言葉にする、
表現する
こだわりを捨てるのも苦手である。

会えない時間
いつ会えるかわからない時間は
子供を不安にさせていたと思う。

だから
”子供が会いたいと言うなら
親には面会してほしい”。

離婚しても
”子供にとって親は親”だということを
忘れないで欲しいと、私は思う。


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す