絞り込み条件を変更する
検索条件を絞り込む
有料ブログの投稿方法はこちら

すべてのカテゴリ

4 件中 1 - 4 件表示
カバー画像

衝撃の日③

こんにちは。癒し処☘みさでございます。今日も昨日の記事の続きをお話しします。昨日の記事はこちらです。↓https://coconala.com/mypage/blogs/edit/41864311月9日、いつものように私は読書をして過ごしていました。そうしましたら担当官が「75番、ちょっとこれ見て。」とホワイトボードをこちらに見せました。そこには私の夫と息子、母の名前が書いてあり面会に来てるけど受けるかどうするか?とのことでした。私はもう家族に捨てられたと思っていたので涙が途端に溢れ、「受けます!」と返事をしました。私は面会室に連れて行かれ、小窓から間違いないかと確認させられて中に入りました。「本当にごめんなさい。心配かけて・・・本当にごめんなさい。」と私は泣いて土下座しました。夫は「わかったよ。とりあえず時間が限られてるからいろいろ聞きたいことがあるから・・・」と話し始めました。借金のことを手紙に詳しく書いて送って欲しいこと洗濯用粉石けんの使い方などなど15分の面会時間はあっという間に過ぎ去りました。「今日会社は?」と聞くと有休取れたからと夫は言っていました。息子は俺は時間があるからまたちょくちょく来るよと言ってくれました。母は今日差し入れ持ってきたからねと言ってくれました。皆寝れてない、食事も出来てないと話していて、可哀そうなことをしてしまったと心から思いました。夫は「とにかく自分のしたことを反省して。」と言いました。でも家族みんなが来てくれて本当にありがたいことだと私の涙は止まりませんでした。夫は11月17日の私の誕生日の日も息子と一緒に面会に来てくれました。ちょうど取り
0
カバー画像

㊕番外編「施設、重篤、危篤、死去、葬式・・・いいのか、悪いのか、哀しんでいる暇がないくらい大変、これまでのこと」

 世話になっていた親戚の高齢なおばさんと障害を持つ娘さんが近親の親戚の多い所の施設に移る話が出ていたが、 障害者と高齢家族が同じ施設に入れないという、 これまた変な法律があるらしく近場の別々の施設に入る予定だったが、障害を持つ娘さんが慣れ親しんだ家から離れられずに なかなか「うん」と言わず のびのび になっていたら おばさんの容態が急変し、 他の親戚に慌てて連絡をし、あっという間に入院、転院出来ず、娘さんは親戚の多い場所の障害者用施設に入ることになり、おばさんから「代行して」と言われていた親戚が駆け付け、3人がかりで手分けして始めたが、越境になるのでこちらの統括マネージャー・ケアマネージャー 、担当の介護士、役所とあちらの統括マネージャー・ケアマネージャー、担当の介護士、 役所の話し合いと書類、特に役所が中心になると思いきや連携が取れず、そこが一番ネックになり、何度も通い書類々にまだ印鑑?連携とデジタルはどこへ行った?込み入っていて面倒くさい😩 あげくにコロナ 禍の院内感染問題がまだあるのか、 簡単に面会できない。 月に2回とか、1回に2人までとか、10分以内とか、ほとんどまともに会えないので大事な書類がどこにあるかも聞けない。 このおばさんの入院と娘さんの越境の障害者施設入りは、引っ越しのようなもので施設用の手続きと、今までいた家から出るということで電気・ガス・水道・ 通信・ NHK・ 郵便・金融機関などの変更手続き、その書類探しと、移動準備、家の片付けと、普通でも大変なのに越境で施設入りと入院と書類と一度にやると非常に大変。 そうこうしてたらおばさんが急になくなり、更にやる
0
カバー画像

ガラス一枚のもどかしさ

こんにちは!さち桜です(*^^*)ここ数ヶ月気力も体力も弱ってしまい一歩も家から出られなかった母ですが毎日の寄り添いの成果が少しだけ出てくれて今日はやっと施設でお世話になっている父のところに母を連れて行くことができました!玄関と中での窓越しの面会ですが久しぶりに出会えた父と母はとても嬉しそうでまた会うことができて本当に良かったなと思う反面窓越しでタブレットでの声を聞きながらの会話なので脳梗塞で言語障害が残る父のボソボソと話す言葉は聞き取れず(コロナ前は口元まで耳を近づけて聞いていました)こちらの話す言葉も分かりにくいみたいでとにかくニコニコ見つめあうことしかできずの30分でした。コロナ前のように手をつないで顔も近づけて話したいなと、もどかしさを感じました。ガラス越しに、すぐそこに父がいるのに触ることができない、手も繋げないのは辛いですが一番近くなのに遠く感じたのは気が付いても動けないこと。時々泣き出してしまう父なので鼻水がたくさん出てしまうのですが父は自分でふくことができないのでティッシュでふいてあげたいのに手を伸ばせばふいてあげられる距離なのにふけなくて。そのたびに職員の方が気づいてきてくださってふいてくださるのを見ているだけなのがとてももどかしくて、悲しいなと感じることでした。早くコロナの心配がなくなってまた手をつないで、会いに来たよ~とくっついたり、ちょっと車いすを押して散歩したりそんな平穏な日常が戻ってきてほしいと強く思う日でした。そしてずっとコロナ禍で家族が施設に入れない時期ずっと家族の代わりに寄り添ってくださる職員の方や関係者の方には感謝の気持ちしかありません。施設
0
カバー画像

離婚  「息子」と「パパ」

結婚率が低下しても 離婚率は高い今 子供がいても離婚を選ぶ場合に 先輩として 伝えてたいことがある。 ”離婚しても、子供にとって親は親である” ということを忘れないでほしい。 私の場合は 離婚時に 「子供が”会いたい”と言ったら できるだけ都合をつけて会う。」と言うことを 念を押してお願いした。 一人っ子の息子の親権者は、私になった。 8月。 離婚して最初の息子の誕生日の頃 パパは息子を連れて、出掛けてくれた。 婚姻中は、仕事でさえ 朝、タイムカードを押して すぐ帰宅し、寝て、 途中、弁当食べて、 また寝て、 夕方になって起きて、 着信があったところに電話をして 仕事に戻り 夜中に帰ってきて 朝までネットサーフィンしたり 音楽を聴いたりして 朝方1時間くらい布団に入って寝て、 起きて、 筋トレして、 シャワー浴びて、 髪の毛一本一本セットして 「朝食バック(ピクニックセット)」と 弁当を持って、 タイムカード押して 帰ってきて、寝る。 「リストラの話出たら、俺が1番だな」 と、偉そうな口調で言ってたけど その神経がわからなかった。 休日も 長期休暇も その生活リズムで 「俺は、若くて結婚したわけじゃない。 自分の生活リズムができている。 家族ができたからって それを変えることはしない」と これまた偉そうに語るから 返す言葉はなかった。 そのくせ細かい。 息子がつかまり立ちした頃は特に「テーブルに指紋がついている。ちゃんと拭いておけ」とか 「リモコンの順番が違う」とか 「リモコンはテーブルの過度に1ミリもずらさないで並べろ」とか リビングにあるパパのステレオのコードに触れると 音
0
4 件中 1 - 4
有料ブログの投稿方法はこちら