私にとっての救世主、「考え方の学校 Yoshi Sun TV」の数々の動画。
ギリシア神話や聖書のエピソードが、星座で説明できるという解説をなさっており、非常に参考になります。
この星座、星の配置とつなげて考えるという発想、今までしたことがなかったのでショックでした。。。
宮沢賢治さんは、もしかしたら知っていたかもですね。星座や宇宙に関心のある人だったら、こういう発想も自然にできたかもしれません。
というか、↓の動画を見た時、確信しました。
宮沢賢治は確実にシラーと同じものを見ていた。
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このボリュームとクオリティの動画を無料で見られるなんて、夢のようです。どーでもいい本読んだり、その辺の有料セミナーとかオンラインサロンに参加するより、こっちの方がずっと有益。
シラーの「歓喜の歌」、この詩って八行詩と四行詩の部分があり、それが九節ある。
8行×9節=72
4行×9節=36
72+36=108
全部9の倍数である上に、この数字。黄金三角形というやつでは?
二等辺三角形の内角。72・72・36の黄金三角形。
そして、36・36・108の黄金三角形。
ウィキペディアの「黄金三角形」の解説ページを参照。
正五角形に対角線を引いてできる正五芒星に含まれる黄金三角形と黄金グノモン。
黄金三角形の五芒星。
フリーメーソンっぽくなってきましたね。
全体は八行詩とコーラスの構成、偉大な人間を讃える英雄詩の形式、ギリシア・ローマ的な多神教の世界観。
そして、フリーメーソン的な数字の枠組み。
内容についてもそうだけど、ここまでくるとシラーがフリーメーソンでなかったとは、ちょっと考えにくい。人生すべてフリーメーソンでなかったとしても、人生の一時期はフリーメーソンであったはずだ。
そして、ベートーヴェンの「第九」の方の歌詞解釈の時に気づいたことだけど、ベートーヴェンの「歓喜の歌」ではフリーメーソン的な要素が薄まっており、全体がギリシア神話的なものと聖書的なものが整理整頓されずにぶち込まれていて、ちぐはぐしている上に、神の居場所が不明瞭。
シラーのオリジナルの「歓喜の歌」にある過激な言葉や表現は徹底的に排除されている。
このあたりの問題点を「第九 歓喜の歌」と比較したい方は、過去ブログを参照ください↓「その一」から「その六」と「追記」があります!ページ下部のから次記事に移動できます。
ということは、ベートーヴェンはフリーメーソンではなかったという線が濃厚。
普通のキリスト教徒だったんじゃないか?
ただ単に身分制度とか階級制度、社会システムに反対していただけの人。
「第九 歓喜の歌」にベートーヴェンが付け加えたこの歌詞。
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere anstimmen
Und freudenvollere
Freude!
Freude!
友よ、この音ではない。
もっと心地よく、もっと喜びにあふれた音で始めよう。
喜び、喜び!
これ、誰視点なんですかね、「友よ」って。
内容からすると、これまでの音じゃなくて今からが本番だから!って感じになって、その後に「喜びさん、神々の美しいきらめき、エリジウムの娘」と続くので、シラー視点でベートーヴェンが自分自身に宛てたメッセージを込めたとも考えられますね。
・・・ベートーヴェンってトンチンカンな人だったんでしょうか(笑)
シラーの「歓喜の歌」を読んで感激して「シラー、すっげー!!おいらもこんな風に魂を震わせる作品が作りてぇ!!」と、突っ走ったものの内容を理解していなかった。そして無神経にもキリスト教っぽい世界観ベースで美しいビジュアルとしてギリシア神話的なエッセンスをちりばめてみました☆てへっ!!
そして、曲の冒頭にシラーになりかわり、自分自身に向けて「友よ」と呼びかけさせる・・・意味わかんないなぁ。シラーのオリジナルの詩を読んで違和感を覚えなかったのかな。。。
今となってはお前の方がむしろ謎だよ、ベートーヴェン。
そもそも、シラーの「歓喜の歌」の暗号を解いていない状態の訳の分からない作品理解で、どうやってベートーヴェンが感激できたのかというのも謎。暗号解けてないのに「友よ」と魂で理解しました!みたいなメッセージをよく挿入できたな?
いやぁ・・・なんかあるね。ベートーヴェン、なんかウラがあるような気がしてきました。
第九の歓喜の歌については、ベートーヴェン自身はフリーメーソンでなかったか、フリーメーソンの名ばかり会員みたいな感じじゃないかと私は感じます。シラーがフリーメーソンだったことを知っている。だが、ベートーヴェンはその理念、「友愛の団体」程度の知識しか持ってなかった。・・・のではないかなー。
dを抜いちゃうし、神の居場所は不明確だし。「星のテントの向こう」と「星のテントの向こう、その上」の違いもスルーしてる。「お父さま・創造主」と「未知なる者・偉大なる神」の区別もつけてないっぽい。
だから、第九の方の歌詞だけ見てると、最後に「世界」「神」が何を指すのか分かんなくなっちゃう。
今回シラーの方を見て、こういう疑問がすべてスッキリ解決したもん。
ベートーヴェンは「歓喜の歌」の歌詞の意味をちゃんと分かってなかった・・・のではないか。いや、ほぼ、暗号解いてない気がする。少なくとも、私と同じ方向の理解はなかったはず。
分かっていてあえてメッセージを分からなくしたのなら、何のために?意味ないじゃん。
シラーにも作品にも失礼だしさぁ。観客に対しても失礼にならない?
「お前ら、どうせ、これ理解できないだろ?分かるように曲つけたらアンチキリストとかって騒ぐじゃん」ってお客さんに対して不信感があるみたいな感じになっちゃうし。
ベートーヴェンのファンの方がいたら、ごめんだけど・・・「ベートーヴェンはガッツリのフリーメーソンだったし、シラーの詩の意味も完璧に分かっていて曲をつけたんだ!」という納得できる証拠見せて欲しい・・・。それか、納得できる説明してほしい・・・。
そしたらその時またあらためて「第九」の検証してみるよ。
楽譜の方にこの謎の答えがあるかもしれないので、音楽に詳しい方なら何かそっち方面から分かる可能性はあるかも。音楽関係者にしか気づかない、とてつもない秘密が隠れているかもしれません。
私、楽譜読めないから無理。
ベートーヴェンはトンチンカンじゃない!って誰か証明してくだされ(笑)
(ベートーヴェンの別の可能性については、後日また別にご紹介します)
シラーのオーデ「歓喜の歌」は、そんなわけでフリーメーソン的要素とギリシア神話要素を持って、スッキリ解読できるんじゃないかな、という結論に至ったわけです。
次回は、ずっと謎だった「歓喜の歌」の神の居場所をご紹介♡
お待たせしてすみません。
※星図盤やアプリをお手元にご用意ください。
↑ベートーヴェン関係続き。シラーの歓喜の歌に興味がない方は飛ばして読んでね。