前半部分は、ベートーヴェンの「歓喜の歌」の時にやってるので、さらっとだけにします。
興味のある方は三年前の「第九 歓喜の歌」ブログ連載をご覧になってください。
「その一」から「その六」まであり、「追記」までよかったらご覧ください♡ ベートーヴェンの第九で不明だった点が、オリジナルのシラーの詩を見ると分かってくるというのが、はっきりとしてくるので面白いと思います。
シラーのオリジナル「歓喜の歌」、シラーは、この詩を書き直しており、もともとは「Was der Mode Schwert geteilt」(時代の剣が分断したもの)であったところを「was der Mode streng geteilt」(時代がすぱっと分断したもの)に変更しています。「第九」の歌詞もこっちです。ベートーヴェンの「第九」では、ちゃたららったーらったーらっ、の部分です。
シラーがフランス革命の残虐さに吐き気をもよおし、血なまぐさいイメージを嫌ったから、「剣」という武器の名称をこの詩から排除したかった・・・という説があるようです。
そして、私は、前回「Mode」という言葉を、明確にしていなかった。普通に、「時代」とか「時流」という解釈になりますよね。
あと、もう一か所改変されている部分があります。
Alle Menschen werden Bruder」(人類みな兄弟)という部分は、改変される前は「 Bettler werden Fürstenbrüder」(乞食は王の兄弟)であったので、
Modeの意味も、「身分制度」とか「社会システム」いう捉え方が分かりやすいかもしれません。
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium1,
Wir betreten feuertrunken
Himmlische, dein Heiligtum.
5Deine Zauber binden wieder,
was der Mode streng geteilt (変更前Was der Mode Schwert geteilt)
Alle Menschen werden Bruder ( 変更前Bettler werden Fürstenbrüder)
Wo dein sanfter Flügel weilt.
(喜びさん、美しい神々のきらめき
エリジウムの娘、
私たちはめまいがするような天空の、
あなたの神殿に立ち入ります。
あなたの魔法は、時代の流れ・社会システム・身分制度(時流の剣)が
すっぱりと分断したものを再び結びつける。
すべての人は兄弟となる(乞食は王の兄弟となる)
あなたの優しい羽がとまるところ。
Chor
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder – überm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
コーラス
人々よ、手をつなごう。
世界全体を祝福しよう
兄弟、星のテントの向うだ
親愛なる父上様が住んでいるはずだ。
八行詩の部分は、ギリシア的世界観なのに対し、それに付随するコーラス部分は「親愛なる父上様」とキリスト教的です。
Seid umschlungen, Millionen!の部分、2022年のブログ「第九 歓喜の歌」では流れ的に「そこにしがみついておれ」と解釈したが、人々よ、抱擁を交わし合おう!みたいな感じに見えてきますね。まぁ、日本人的には抱擁というよりも、みんなで手をつなごう、程度の方が自然かな。
Alle Menschen werden Bruderすべての人は兄弟になる
Bettler werden Fürstenbrüder 乞食は王の兄弟になる
表現は違うけど、本質的に同じことです。
乞食は、人から分けてもらって生きている。
王様は、国の人たちの税金で生きている。
乞食は、その存在の哀れさで人からお金をもらう。
王は、その存在の偉大さで人からお金をもらう。
哀れなのか、偉大なのか、それって人の感覚で、肩書みたいなもんです。目に見えない、実体のないもの、証明のしようのないもの。
王は領土を持っているからって言う人もいるかもだけど、誰の土地かって決めたのも人の勝手なルールですからね。言ってはいけない「王様は裸だよ」ってことです。
双方とも、何も生み出さない。何も所有してない。その存在の印象、周りの人たちからの扱い次第。
王がいるなら、乞食もいる。上を作れば、下もいる。
額は違うけど、稼ぎ方のメソッドは同じ。
そして、この両方とも人がなりたくてなれるものじゃない。
人が決めた価値基準、肩書を取っ払ったら、みんな同じです。高い・低い、いい・悪いと、つい比べてしまうけど、視点を変えたら大差ないこともあるし、価値観や時代が変わればすべて逆転することもあります。
「賢い人にしか理解できない、見ることができない」という肩書とか実績だの成績だの人の評判とか出自とか血統、色々あるけど、最終的には人ってみんな同じでいいんじゃないですかね。
「そんなのイヤ!」って人が多いから、「王様は裸」って言っちゃいけないことにしている。
「社会秩序が乱れるから」って言う人もいるでしょうし、「うちの家系は遡ればキゾク」みたいなお家柄もあるでしょうから、乞食が王様の兄弟、どっちも同じと言っては困る人がいるのです。
「王様は裸だよ」と言わない約束で現代社会・文明社会は成り立っているのです。
現代社会におけるトイレットペーパーと同じです。人は、トイレットペーパーがないと文明化した人間の生活ができなくなると思っているのです。だから何かって言うと買いだめするのです。
王様が裸でも、裸ではないことにしておかなければいけません。それは乞食は乞食のままでいなければいけないのと同様。
それが文明社会というものなのです。
だから、トイレットペーパーを切らした時点で、トイレットペーパーが供給されなくなるような事態になると、人々は文明社会から一気に野生動物と化すのです。と、思っている人がたくさんいるのです。
「乞食は王の兄弟」という方が、全体のまとまりとしてよかったのではないだろうか・・・という気がしなくもない。
なんで変更したんですかね。謎が一つ増えてしまった。
次回は、重要!!謎を解くカギ「未知なるもの」が登場♡