Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein;
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja – wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wers nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
大きな賭けに勝つもの、
それは友の友であるもの。
貞淑な妻を得たもの
勝者の輪に加われ。
そうだ、たった一つの魂を自分のものだと言えるものも勝者だ。
これらを勝ち得なかったものは、泣きながらこの輪から立ち去れ
この部分は、「第九 歓喜の歌」で詳しくやっているので・・・
ここは魂を持っているかいないかが問題になっている、というところをおさえておいて欲しいです。
魂の数が2個以上ある=自分の魂を持ち、妻や友と信頼関係を作れている人。
魂の数が1個=自分の魂はある。他人には理解されなくても、自分の信念を持ち、自分の足で立っている人。
魂の数が0=悪魔に魂を売り渡した嘘つき野郎で卑怯者。自分の信念も持たず、状況次第でコロコロ態度を変えるような奴。
Chor
Was den großen Ring bewohnet,
Huldige der Sympathie!
Zu den Sternen leitet sie,
Wo der Unbekannte thronet.
だが、ここでのコーラスは、第一節のコーラスとは違い、キリスト教的なイメージではない。
「この大きな輪(循環)に住んでいるものは、
調和を大事にしましょう
調和が、星々へと導いてくれる
そこは、未知なる者(見知らぬもの、知られていないもの、名のないもの)が統治しているところ」
キリスト教というよりは、もっとガイア的なイメージになりますよね。宇宙全体の調和や循環といった、スピリチュアル的な印象を受けます。
この「未知なる者」とは誰なのかということが、全体を通して最大の謎となります。この詩全体を実は支配していたのは、この「未知なる者」だったからです。
親愛なるお父さま、創造主、という様々な「神」らしきものを指すワードが出てきますし、シラーはドイツ人、キリスト教圏の人物なので、普通に「唯一神」世界観を尊重しちゃうところなんですが、それやっちゃうと見えてこない真実がある。
ここで、「未知なる者」がその神とは別の存在だと気づくことができれば、この詩の「暗号」を解くカギを手に入れたことになります。
この謎が解ければ割と世界観的には統一していきます。
後は、勇気を持って自分が正しいと信じる方向へ解釈を進めていけばいい。
「そんなのあるわけない」「バカじゃないの」「ありえない」「自分勝手な妄想で解釈進めるなよ」「それってあなたの感想ですよね」・・・
今まで「歓喜の歌」を訳した偉い学者さん、文学者さん、音楽家。中には天才と言われる人もいる。ドイツやヨーロッパ文化・芸術の専門家だっている。
私のなんの裏付けもない、なんの知識もない、ただの「昔、ドイツ語在宅翻訳をバイト程度やってましたー」というレベルの人間が何を言っても相手にされませんよ。
肩書や実績や裏付けがなければ、誰も相手にしない。馬鹿にされるだけです。
分かってます。今までさんざんそういう目にあってきました。
だが、今更それがなんだと言うのです。
そーゆー肩書のない人間が何を言っても相手にされないのだから、好き放題やっちゃえばいいんです。
どうせ無料のブログです。楽しければそれでいいじゃん!!
前回、詩の最初の一説のコーラス部分では「星のテントの向こうに親愛なる父上が住んでいる」と書かれていた。これは、キリスト教的な神と解釈すると、今回の「未知なる者」というのは、この神ではない別の存在・・・。
だって、神は「星のテントの向こう」にいる。
この「未知なる者」は、大きな循環や調和を大事にし、そういう星々を治めているわけですよね。
星のテントの向こうにいる神とは別の存在。
唯一神とか、創造主とか、絶対神とか、そういうのじゃなくて、宇宙的な存在、星や、自然の循環とか、そういうのを調和をもって管理している、もっと自然に近い存在とするのが妥当ではないか?
未知なるものとは誰か
星々は何を意味するのか。
星のテントとは何か。
これらが謎の核心になっていきます。
そして、この先徐々にその正体が明らかになっていきます。
そして、次回。
前回の「第九 歓喜の歌」で解釈の難所であった「死で試された友」の真相が明らかになる!!