再び、洋書の背表紙の話。
一年前、そういえば私は自作ユーチューブ動画を初投稿した。
「どやぁ!」という気持ちで投稿したものの、まったく反響なし。
身内が見てくれただけ・・・私の意図としては、「どうして洋書の背表紙には、上から書かれているものと、下から書かれているものがあるのか?」という疑問を持った人に届けば楽しい、と言うものだったのですが・・・
うちの母経由で、親戚のおじさんだの、おばさんだの、母の友人・知人にがばっとリンクが回り、しかもそのうちの誰一人として、洋書に関心はなかった。つまり、みんな「今まで洋書の背表紙なんか気にしたことない」という人たちだった。
一年前の私は、それにブチギレていた。
私の当時の気持ちを理解していただくために、皆さんの想像力をお借りしたい。
あなたは、中学二年生。実は、こっそり好きな男子がいる。もしくは女子がいる。
バレンタインデーに手作りケーキを作り、その人に食べてもらいたいともくろんでいるとしよう。
自分の気持ちを分かってほしい、だけど、なるべく切実な印象を与えて重いと感じられないよう、さりげない、「そんなに頑張ったわけじゃないもん」ケーキを作ったわけです。
つまり、見た目は質素、「ちょっと時間があったから作っただけだもん」風。
「べ!別に好きとか、バレンタインだからとか!そーゆーんじゃないから!!」ってやつです。
だけど、実は、中身にこだわっていた。
切って食べてみると、見えない部分にこだわりがあるのに気づく。ナッツとかフルーツとか、バニラも「バニラ風味」じゃなくて、本物のさやつき「ヴァニラ」が使われていたり、色々ふんだんにこだわって作られているのです。
軽い気持ちでもらい、切って食べる時になって「あれ?これって・・・ものすごく手が込んでいるのではないか?」と気づく、という戦法を取ったのだった。
いやいや、卑屈だとか、ツンデレだとか、メンドクサイとか言うな。
それが乙女心なのだ。
学校から帰って、改めてプレゼント用に包んで渡しに行こう・・・とドキドキして学校から帰ると・・・
クッソババァ!!何、食ってんだよ!それ!
母親が、ババア友達数人と居間で集まって、コーヒーを飲んでいた。私が作ったケーキを食べながら。
「boちゃん、これ、美味しい!最高!」とババア友達は褒めています。
「ご馳走様―」「見た目じゃなくて、中身にこだわったのね♡」「boちゃん、ケーキ屋さんになれるよ!」などなど、中2のお子さまに口先だけのどーでもいいおべんちゃらを言うババアども。
・・・見るも無残になったケーキの残骸を前に、心は涙目。
という時の気持ちが、当時の私の気持であった。
分かって欲しい人に届いて欲しいと思っていたものが、ぜんぜん分かってほしいと思ってなかった人たちに食い荒らされたという中2のバレンタインデー。
はい、その時の気持ちがまさに去年の私の気持ちであったのです。
聡い人はこう思われるかもしれません。
「それ、ババアどものせいじゃなくね?」って。
ええ、別にババアどもが悪いわけじゃないのは分かってます。人に招かれて出されたケーキを食べただけです。何も悪くないです。特別感なく、ただ出されたものを食べただけ。そして、特別感なく作った本人にお礼を伝えただけです。むしろ、心根の優しい人たちだと言ってもいいでしょう。
んで「母親も、冷蔵庫にあったのをたまたま見つけてお客さんに出しただけでしょ?」って、悪意があったわけじゃないだろう。「せっかくのケーキだから、誰かに食べてもらった方がいいに決まっている!多くの人と分かち合えた方がいいに決まっている」という善意からだったのでしょう。
だが!!察しろよ!中2!バレンタインデー!ケーキ!
特別な意味なんかないもん!って顔してるけど、特別な意味があるかもしれないとちらっとは考えろよ、クッソババア!
そーゆーこと、言わせんなよ!鬼か、お前ら!
という気持ち。
分かる人に届けばいいと思って作ったものが、分かる人には届かず、分からない人に無駄に消費されてしまうこと。
これは、心をくじくのに十分すぎるダメージです。
今、もし、こんな中2のバレンタインデーな気持ちになっている人が他にもいたら、私は、今、その人に届いて欲しい。
一年越しで、私は洋書の背表紙の面白さを体感している人と、繋がることができたのです。
そして、こんなボロボロな気持ちになっていても、たった一人でも、「分かる」といってくれ人がいたら、何百人の、何千人のクッソババアどもに食い散らかされた乙女心でも、再び復活することができる、そういう力を与えてくれるのだと私は証言するのです。
たった一人の「分かる」人が「分かる」と言ってくれただけ。それだけで、多くの人から分かってもらえず、無視され続けていたとしても・・・それだけで、すべてが報われたような気持ちになることができるのです。
もう一度、写真をよくご覧ください。
ここには、一巻と二巻セットの洋書が写っています。
なぜか、一巻と二巻、背表紙のタイトルの方向が違っているのです
同じタイトル、同じサイズ、おそらく出版社も同じだろう。だが、なぜか背表紙のタイトルの方向が違っている。
こんな不思議な本のセットがどうして生まれたのか・・・。
もしかしたら、出版年が違っているのかもしれませんね。
例えば1980年代までは、背表紙のタイトルは下から上としていた。
だが1990年から、背表紙のタイトルを上から下に切り替えたとしたら。
そして、1巻、2巻のセットで買ったけれども、一冊紛失してしまった、もしくは破損して買いなおした、ということもあるかもしれません。
そして、いつしかその本を必要としなくなった人たちが古書店などに売る。古書店で、1巻2巻とセットで売る方が高く売れるから、もともとの組み合わせじゃないペアで巻をそろえて売ることもあるでしょう。
なぜか手元に2巻しかなくて、どうしても1巻を手に入れたくて、どこかのフランスの街角で古書店をまわって歩いていた青年や少女がいたかもしれません。
たった一枚の写真から、様々なドラマが想像できるという面白さ。
そして、そこにはいつも延々と続く、脈々と続く、人間の日々の営みがあるのです。
なんというロマンでしょうか。
私は、とっても今、むさくるしく感動しているので、どうか分かる人にだけでもつなぎたいという思いで今、急いでブログを書いているのです。
中2のバレンタインデーの思いが、一年後に報われることもある。
今、まさに中2のバレンタインデーの気持ちになっている人がいたら、クサクサせずに、ゆっくりと時を待ってみてくださいね♡
いつか報われることもあります!