言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。「くどくど―を並べる」
(goo辞書より)
愚痴をこぼすのと同じくらい、他の人の愚痴を聞く場面もあると思います。
その時を思い出しながら、愚痴のコツとは何かを一緒に考えてみましょう。
①上手な愚痴そもそも内容が無いのが愚痴ですから、目的や意味を考える必要はありません。
目的があるとすれば「誰かに聞いてもらえる」ことです。
聞いてもらえることで愚痴は薄まったり消えたり、形を変えたりします。
ですから、聞いてくれる
相手のストレスにならない・なりづらい程度に収めておきましょう。
具体的には
・愚痴を言う回数
・内容が深刻過ぎない(ハラスメント、家庭不和、生死にかかわる問題、重篤な健康問題など)
・愚痴を言っている時間
等への配慮です。
②NGな愚痴「言っても詮無いことだけど聞いて欲しい」ものの一つに、
対人問題があります。
共通の知人についての愚痴は、言い方に注意しないと
悪口になってしまいます。
悪口は、巡り巡って自分への評価を下げる副作用があります。
③ユーモアで締めくくるどんなに言い方や内容に気を付けても、そもそもが前向きな発言ではないので、どうしても気分を盛り下げてしまいます。
ちょっと言い過ぎたかな、と思った時などは、
ユーモアや諧謔・ウィットで話を締めくくりましょう。『〇〇さんのせいで2時間も残業したから、少しは痩せてると良いな』
『ひき肉売り切れてたから、特売の豚コマにしちゃった』
愚痴はつい漏れてしまうものとはいえ、愚痴を言える場・聞いてくれる相手というのは実はとても貴重です。
愚痴をため込み過ぎると心の中で発酵してもっと重大な悩みに育ってしまいます。
愚痴をこぼすことで
ガス抜きして、悩みにまで育てずに済ませることが出来るなら、メンタルヘルスを健康に保つためには「愚痴れる場」は大事にしましょう。
愚痴を言い合えるということは、それだけ
お互いに気心が知れているというバロメータでもあるのですから。
愚痴とは、つまり
自分が「何に対してネガティブになったか」が言葉になったものです。
ネガティブな発言は、
自己開示として使う場合、聞いた人は親しみを感じます。
そこに自分との共通点を見出して心の距離が縮まったり、その人の苦手なことを理解して気遣いを働かせたり、「私はね」と、返報性の原理で自分のネガティブな部分を見せ返してくれることにもつながります。
更に、愚痴をこぼすことで、
過去の状況を追体験して、自分の行動を振り返ることが出来ます。
当時はただ「嫌だな」としか思っていなかった場面を言葉にして話すことで、冷静に振り返ることが出来、『もしかしたら~~とすればよかったのかな』と
対策を自分で思いつけたりします。
反対に、他の人の愚痴を聞く側になった時のことも考えてみましょう。
例えば、上述したように、愚痴は聞いてもらえればそれで役割が終わります。
聞いた側は、つい相手を助けてあげたくて
アドバイスや提案をしがちですが、
愚痴には不要です。
相手から「どうしたらいいと思う?」と聞かれるまでは、そうなんだ、大変だったね、と
同意を示すだけに留めておきましょう。