「私、ダメなんです」
カウンセリングルームに入ってきた彼女は、少し疲れた表情をしていた。座るなり、小さくため息をついた。
クライエント:「最近、本当にダメで......仕事でミスが続いて、もう自分が信じられなくなってるんです」
ダイキ:「ダメ、って聞くと、何かすごく大きな失敗をしたように聞こえるんですけど」
クライエント:「いえ、大きなミスじゃないんです。むしろ小さいことばかり。でも......」
彼女は言葉に詰まった。
クライエント:「たとえば、先週、お客様に送る資料の日付を間違えてたんです。すぐに気づいて修正したんですけど、それが頭から離れなくて。『なんで確認しなかったんだろう』『チームのみんなに迷惑をかけた』って、夜中に何度も目が覚めちゃって」
ダイキ:「すぐに修正できたんですよね?」
クライエント:「はい、誰も困ってないと思います。でも......」
また言葉が止まる。
クライエント:「...こんな小さいことで悩んでる自分も、またダメだなって思うんです」
ダイキは何も言わずに、ただうなずいた。
完璧じゃないと、怒られる
ダイキ:「『100点じゃなきゃダメ』みたいな感覚、ありますか?」
クライエント:「......あります」
彼女は少し驚いたように顔を上げた。
クライエント:「どうしてわかるんですか? 私、いつもそう思ってます。90点でも、『あと10点足りなかった』って思っちゃう。100点取れないと、意味がないっていうか」
ダイキ:「100点じゃないと、どうなると思います?」
クライエント:「......怒られる、かな。いや、別に今は誰も怒らないんですけど」
その言葉を口にした瞬間、彼女の目に涙が浮かんだ。
クライエント:「......あ、なんで泣いてるんだろう」
ダイキは静かに待った。彼女はハンカチを取り出して、小さく笑った。
クライエント:「子どもの頃、よく怒られてたんです。『ちゃんとしなさい』『なんでできないの』って。テストで90点取っても、『あと10点はどこに行った?』って言われて」
彼女は少し間を置いてから続けた。
クライエント:「だから、いつも完璧にしようって思ってました。そうすれば怒られないし、みんな安心するから」
警戒し続ける心
ダイキ:「今もその感覚、残ってるんですかね」
クライエント:「......そうかもしれません。いつも『失敗したらどうしよう』『みんなに迷惑かけたらどうしよう』って考えてます。だから何度も確認して、何度もやり直して......」
ダイキ:「それ、すごくエネルギー使いませんか?」
クライエント:「...使います。毎日ヘトヘトです」
ダイキは少し考えてから話し始めた。
ダイキ:「たとえば、野生動物が敵に囲まれてるとき、ずっと警戒し続けますよね。耳をそばだてて、周りを見て、逃げる準備をして。それってすごくエネルギーを使う」
クライエント:「...確かに」
ダイキ:「で、人間も同じなんです。『失敗したら大変なことになる』って思い続けてると、心は常に警戒モード。それだけでエネルギーがどんどん減っていく」
クライエントは何かに気づいたように目を見開いた。
クライエント:「私......ずっと警戒してるのかな」
ダイキ:「かもしれないですね。で、エネルギーが減ると、集中力も下がるし、ミスも増えやすくなる。すると『やっぱり自分はダメだ』って思って、もっと警戒する。そしてまた疲れる......」
クライエント:「......悪循環ですね」
彼女は深く息を吐いた。
「失敗」じゃなくて「データ」
ダイキ:「一つ聞いてもいいですか? その日付のミスから、何か学びましたか?」
クライエント:「学び、ですか?」
ダイキ:「うん。たとえば、『こういうときは確認リストを使おう』とか」
クライエント:「......ああ、それは確かに。最終チェックの手順を見直しました」
ダイキ:「じゃあ、そのミスって失敗じゃなくて、『データ』だったんじゃないですか?」
クライエント:「データ?」
ダイキはゆっくりと話し始めた。
ダイキ:「僕らって、失敗すると『反省しなきゃ』『自分はダメだ』って思いがちなんですけど、別の見方もできるんです。『ああ、こういうときはこうなるんだ』っていうデータを集めてる、って」
クライエント:「......データ」
ダイキ:「そう。完璧な人間なんていないから、誰でもミスはする。でも、そのミスから『次はどうすればいいか』がわかれば、それは成長のためのデータですよね」
彼女は少し考え込んだ。
クライエント:「でも......そう思えないんです。やっぱり『私がダメだから』って思っちゃう」
ダイキ:「それ、すごくよくわかります」
ダイキは静かに言った。
ダイキ:「長年そう思ってきたんですもんね。簡単には変わらないと思います」
焦らなくていい
しばらく沈黙が続いた。クライエントは窓の外を見ながら、何かを考えていた。
クライエント:「......私、なんでこんなに完璧じゃなきゃって思ってたんだろう」
ダイキ:「それを探る必要はないかもしれないですけど......でも、気づいたことはありますか?」
クライエント:「...たぶん、怖かったんだと思います。失敗したら、嫌われるんじゃないかって」
彼女の声が少し震えた。
クライエント:「子どもの頃、失敗すると怒られて、『あなたはダメな子ね』って言われて。だから、完璧にしてれば安全だって、どこかで思ってたのかも」
ダイキ:「......なるほど」
クライエント:「でも、それってもう必要ないですよね。今は誰も私を怒らないし、小さなミスで嫌われたりしない」
ダイキ:「そうですね」
クライエント:「頭ではわかるんです。でも、心がついてこない」
ダイキ:「それでいいと思いますよ」
ダイキは優しく言った。
ダイキ:「今日ここで、『ああ、私ってこういうパターンで考えてたんだ』って気づけたじゃないですか。それだけでも、すごく大きな一歩だと思います」
クライエント:「......そうですかね」
ダイキ:「うん。焦らなくていいんです。少しずつ、『80点でもいいかな』『70点でも意外と大丈夫だったな』って経験を積んでいけば、心も少しずつ変わっていくと思います」
小さな一歩
カウンセリングの終わりが近づいてきた。
ダイキ:「一つだけ、試してみませんか?」
クライエント:「何でしょう?」
ダイキ:「次に『やばい、失敗した』って思ったとき、『これはデータだ』って心の中でつぶやいてみる。それだけです」
クライエント:「......それだけ?」
ダイキ:「はい。最初は信じられなくても、とりあえず言ってみるんです。『これはデータ。次に活かせる情報をゲットした』って」
彼女は少し笑った。
クライエント:「なんかゲームみたいですね」
ダイキ:「そうそう。完璧じゃなくていいんです。データを集めながら、少しずつレベルアップしていく感じ」
クライエント:「......やってみます」
それから
数週間後、彼女からメッセージが届いた。
「先日、また小さなミスをしました。でも今回は、そこまで落ち込まなかったんです。『あ、これデータだ』って思い出して。ちょっと不思議な感じでした」
完璧主義は、一朝一夕には変わらない。でも、少しずつ「完璧じゃなくてもいい」と思える瞬間が増えていく。
それでいいのだと思う。