自分を無条件に観る、愛するって簡単?

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こんにちは
今日は、前回の記事、質問へのお答えの続きになります。


前回の記事では
「自分の反応に疲れちゃうし振り回されちゃう」
そうならないように
自分にフォーカスしないように「相手の観点から相手を観る」



と言われたいたYさん この状況に必要なことは
自分が何に反応して何が嫌だと感じているか?
を捉えていくことが大事であることをお伝えし


捉えたことを無条件に観ていく。
ということお伝えしました。


Yさんは、記事を読まれるなり、
「納得しました。」とメッセージをくださったのですが



自分が何に反応して何が嫌だと感じているか?を捉えて
それを無条件に観ていくって
なかなか気合がいることかもしれませんよね



「無条件に観ていく」とは
その感情や事実を歪ませたり、いいように解釈したり理由付けや
ジャッジせず、ありのままを無条件に観ていく、ということです。



すなわち、どんな汚く、腹黒い部分や寂しくて弱い部分
自分では受け取りたくなく、嫌な感情も無条件に観て受け取る。
ということなのです。
無条件にっていう部分が難しいですね。



多くの人は、自分に観たくないもの認めたくない物、気づきたくないものに
蓋をし、なかったことにし、ありのままを観ないようにしてしまう



観るなら、その事実に、〇〇だったから、〇〇のせいで、とか
何かの理由を付けがちなんですよね。



そんな風に自分を無条件に観よう、受け取ろう、とすればするほど
無条件には受け取りたくないものと対面してしまうものです。

※これは自分を無条件に愛そうとする場合にも言えます。



なぜなら自分が自分に対し一番条件付けを持っているからなんですね。
誰よりも自分を愛したく
誰よりも自分から愛されたいのに

無条件には愛し合えなく自分の中での捻れが色んな矛盾を生み出してしまいます。

そして、気づいたら外の何かで自分を満たそうと無駄に頑張ったり評価を求めたり. . .
又は、誰かからの愛を求めることで自分の愛を埋めようという行動につながっていきます。



トリニティでは愛は観点であると教わります。
愛すること愛されること愛し合うことは
観点によって生み出されます。



話は戻り
条件つけられた自分を無条件に観ることや愛することは難しいとするなら
では他者はどうか?と言えば



自分にとって都合がよい時は無条件に観れるかもしれない
でも都合が悪ければ無条件には観れない
状況によって変わってしまうなら
他人を無条件に観ること、愛することもまた難しい。



なのでトリニティは無条件に愛し合うこと知るために
初めに愛を愛の観点から観ることを学びます。



愛とは何にも条件つけられてない永遠不滅にあるもの

無条件に愛し
無条件に愛され
無条件に愛し合う
愛の循環運動をしている

三位一体の形があります。

これが愛の実態であり、すなわち神そのものの姿です。

何にも誰にも条件付けされることなく無条件にあり続ける存在

本当の愛を知るには、愛の観点を愛の観点から観た時
にだけ愛とは何かがわかります。



その観点が観れて
次にできること
無条件の愛の観点から相手を観ることなんです。



自分から相手を観るのではなく、自分を超えて無条件の愛の観点から相手を観る
そうした時にだけ、何にもとらわれていない
無条件に存在している相手そのものが観えて来ます。
さらにそこには相手と無条件の愛の交わりが生まれます。



それが出来てきて初めて、自分を無条件に観れる
自分が思い感じ評価している自分自身ではなく
何にも条件付けられていない本当の自分を
無条件の愛の観点から観てあげることが出来てくるのです。



言葉に表すとこんな感じなのですが
実践してみるととても難しかったりします。

だからこそ、それを教え学んでいるのですが



自分を無条件に観ることは
自分を無条件に愛すること
愛されること愛し合うこと


無条件の愛を✨

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