自分の反応に疲れちゃう

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コラム
今日は、無条件の愛を生きようとスタートした
Yさんからいただいた質問へお答えしてみようと思います。
Yさんは
仕事や子育てに追われて
よく悩んだり考えたりするようなのですが
最近は、その繰り返される「悩み」自体を
自分が作り出し、解決しては、次の悩みを作り出し
グルグルとアトラクション(悩むことで感じる体験)
をやっているな〜と気付かれたそうです。
アトラクション(悩むことで感じる体験)は
気づいたからといって、簡単に抜け出せることではないのですが
少しずつ”自分のコト”が見えてきたようです。
そんなYさんからの質問
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
『自分の反応に疲れちゃうし振り回されちゃうから
相手の観点から見る事がいいのでしょうか?』
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
という内容でした。 
トリニティでは愛とは相手の観点から相手を観ること
愛とは観点そのものであると教わります。
まず
「自分の反応に疲れちゃうし振り回されちゃう」
ことと
「相手の観点から相手を観る」
ことは別物であり
「自分の反応に疲れちゃうし振り回されちゃう」
そうならないように
自分にフォーカスしないように「相手の観点から相手を観る」
ことではないことを理解した方が良いです。
「相手の観点から相手を観る」ことは、
何かをどうにかするようなツールではないことが、理解出来てなければ
「相手の観点から相手を観る」という
本来、愛を観る行為と、自分が陥っている状況がごっちゃになってしまうのですよね。
Yさんが
「自分の反応に疲れちゃうし振り回されちゃう」
このような状況で観なくちゃいけないのは
「相手の観点から相手を観る」
ではなく
自分は、何に反応し、何に振り回されるのかを観る事が必要なのです。
自分が何故それを嫌だと感じているのか、反応しているのか?
そこを捉える
まずはそこからではないでしょうか?
そして捉えたからこそ、それを無条件に観ていく
コトをしていけるわけです。
ただ
自分自身を無条件に観ることがなかなか難しいことなのですが
次回は
無条件に観ることについて書いてみようと思います。
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