昨日の記事はひたすら理屈っぽい説明に終始していて味気無かったのではないでしょうか。
その前の回の最後の方で、相手の呼吸にほんの少しのエールを送るような取り組みにもなると、そんな事を予告してありましたが、昨日の文だけではどこがエールなのかが分からなかったかと思います。
それは、やり方の手順の中に出て来る “ 間(ま) ” のことです。
分かってる方も居られたかも知れません。
そのような方に取りましては今日の記事は蛇足となってしまいますが、どうかお許しください。
相手の肩甲骨を程好く持ち上げた時に感じる間は、例えば、フライ。これは、野球などの球技でボールが空高く打ち上るフライのことですが、最高到達点に達してそして落下に転じる際に、折り返し点が紙に折り目を付けたような角状では無く緩やかな曲線である感覚、呼吸の、吸気から呼気への転換点もそのように捉えてみてください。
ご自身の呼吸を大切に見守る習慣が身に付けば、自ずとそうなって来るのも又事実で、そうなれば、人の呼吸の中にもそれに類するものを自然と認められるようになります。
走るといったような具体的な全身運動でも、小手先の細かな作業でも、スピードが増すと、呼吸は浅く小さくなって、それが更に高じると、もういっそのこと今度は呼吸を止めることで極力回数を減らしてまで瞬発力の持続に注力するような選択を体はしますので、僕たちは今、ここではその真逆がやりたい訳です。
仕事の時に体が強いられる事情は置いといて、今は、少なくとも今は、何も急ぐ必要は無い、慌てる必要は何処にも無い、そんなメッセージを携えて、あなたの両手は相手の肩にあるのです(←ウルトラQでの石坂浩二のナレーションみたいになってます)。
息を流入させるように持ち上げた肩も、ポーンと青空に打ち上ったフライボールのように、心地好い間を感じてからゆっくりと寄り添い降ろしてあげてもらいたいのです、僕がではなく、相手の肩が呼吸がそうお願いしてます。
僕はこのような呼吸の本質を先に学び、この心地好い間が本来の呼吸のポテンシャルに気付かせてくれましたので、巷によくある、息を吸ってから止めるという行為をどうしても快く受け入れることが出来ません。
それをする必要性が体の中に見付からないのです。
吸気と呼気の真ん中に、一見すると止まっているようにも見えてしまう、それ位に静かな状態、厳密には体の細部のスペースに及ぶ拡張傾向を蔑ろにしていない大切な時間、これを簡略化したものが、息を一旦止める、になってしまったのでしょうか。もしそうなら、この二つは全く違うものです。
一つは、呼吸を優しく本来の姿として見守る態度。
もう一つは呼吸の意識的なコントロールです。
体が嫌悪感を覚える“方法”を継続して研究する気にはなれず、この謎の解決は今も先送り状態となっています。
話が少し逸れてしまいました。
このように、あなたの呼吸にはこんなにも豊かな間が存在するんですよ、という体を通してのメッセージが、立派なエールとなり得ます。
体の内部に再発見したスペースは、それはそのまま心の広さを取り戻すことにもなります。
そしてその人の呼気の緩やかさに見合った優しさで肩を元の位置まで降ろしてあげる。
そうして肩がその本来の位置まで降りた時、今度は、呼気から次の吸気へと転じるまでの “ 間 ” とここで出会うことになります。
この間は、先程のフライボールの間よりも更に深く豊かで、実際時間的に長くなる可能性を持っています。
この辺りの話は、例えば歌を歌う時に、フレーズを長々と延ばす場合がありますね。ロングトーンとか、ロングノートとか呼ばれるやつですが。あのようなこととも少し繋がる話となりますが、間違っても自意識で長く吐き続けようなどとは思わないでくださいね。
肩の本来の重みや存在感を余すところなく感じるように呼気が出て行くのを共に見届けてあげる、そんなサポートをしていると思ってください。
この時も、今は何も急ぐことはない、慌てなくても誰も何も言わない。
そういった安心感と共に掌を置いていてあげてください。
ゆったりとした呼吸に立ち返ることほど、自信が蘇ることはありません。
これが、想像以上にエールとして相手の深い処へと浸透します。
少しは、昨日の補足になりましたでしょうか。
明日はここにもう一つ、更にメッセージ性のあるサポートをプラスしてみたいと思います。
つづく