揺れる心を受け止める、三つの錨(いかり)

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コラム
 うつ病に限らず、病に倒れた方の心が千々に乱れ、おぼつかなくなってしまうのは、ごく自然なことです。
 それは、患者自身が医師であっても何ら変わることはありません。心の専門家であれ、どのような立場の方であれ、人の「死」と「病」は等しく人間に平等であり、脆い存在なのです。
 では、うつ病という深い霧の中に迷い込んだとき、私たちは一体どこに「ココロの拠り所」を求めればよいのでしょうか。
 よくある誤解として、「他宗教や仏教に救いを求めなさい」という教えがありますが、これは少し的外れなのかもしれません。
 身も蓋もない言い方をすれば「帰依しなければならない」とは、蒼俊は絶対に言うことはないです。
 そもそも、信仰を「義務づけられること」が間違いなのであって、「心が求めた時に、結果として縋(すが)ればいい」というだけの話だからです。
 私が若かった時にうつ病に罹患し、その時に高校時代の教師に偶然再会しました。で、その先生が真言宗の僧侶だった。だから、信頼感は元々あったし、もちろん師僧が真言を強制してくることはありませんでした。自然と師僧とお付き合いすることで、真言宗という宗教が、自分の「再生への土壌」と変化していったのです。
 「強制された信仰」は、弱った心に新たな重荷を課すだけになってしまいます。それは、もはや「宗教」ではなく「苦役という名の重荷」でしかありません。
 心が本当に求めている「拠り所」は、もっと泥臭く、実用的で、確かなものです。それらは大きく分けると、心の回復を支える「三つの錨(いかり)」に分類することができます。

第一の錨
無条件の安心感と、静かな居場所ただ隣にいる存在:批判も余計な励ましもせず、ただ話を聞いて味方でいてくれる家族や友人(信頼でき理人)の温かさです。
責められない空間:社会的役割をすべて脱ぎ捨て、何もしなくても許される自宅(安心できる居場所)という名の聖域です。
医学という免罪符:これは怠けではなく「脳の機能障害」という診断名を得ることで、自己嫌悪の呪縛から解き放たれます。

第二の錨
専門的な治療と、確かなケア並走してくれる専門家:客観的な視点で症状を見つめ、行く先を照らしてくれる(自分との相性の良いと感じる)主治医やカウンセラーとの信頼の絆です。
物理的な処方箋:乱れた脳内の神経伝達物質を整え、おぼつかない足元を(信じ、適切に飲み、医師の指示に従う)薬理的に支えてくれる「抗うつ薬」です。

第三の錨
孤独を消し去る、社会とのつながり生活を守る制度:「傷病手当金」(社会保険加入者)や休職制度といった、社会的扶助。
 自立支援医療、障碍者手帳の取得といった公的扶助は、休職中の経済的な焦燥感を物理的に和らげる「盾」となります。また、病状が長期に渡った時は、「障害年金」(障害基礎・厚生年金)や生活保護も視野に入れましょう。

 暗闇の中で立ち尽くすとき、無理に「強い心」を演じる必要はありません。「大丈夫?」と聞かれたら、「大丈夫じゃない」と言っていいんです。
 これら三つの錨にそっと身を委ね、心が自然に満ちてくるのを待てばよいのです。

                         沙門蒼俊 合 掌
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