揺れる心を受け止める、三つの錨(いかり)
うつ病に限らず、病に倒れた方の心が千々に乱れ、おぼつかなくなってしまうのは、ごく自然なことです。 それは、患者自身が医師であっても何ら変わることはありません。心の専門家であれ、どのような立場の方であれ、人の「死」と「病」は等しく人間に平等であり、脆い存在なのです。 では、うつ病という深い霧の中に迷い込んだとき、私たちは一体どこに「ココロの拠り所」を求めればよいのでしょうか。 よくある誤解として、「他宗教や仏教に救いを求めなさい」という教えがありますが、これは少し的外れなのかもしれません。 身も蓋もない言い方をすれば「帰依しなければならない」とは、蒼俊は絶対に言うことはないです。 そもそも、信仰を「義務づけられること」が間違いなのであって、「心が求めた時に、結果として縋(すが)ればいい」というだけの話だからです。 私が若かった時にうつ病に罹患し、その時に高校時代の教師に偶然再会しました。で、その先生が真言宗の僧侶だった。だから、信頼感は元々あったし、もちろん師僧が真言を強制してくることはありませんでした。自然と師僧とお付き合いすることで、真言宗という宗教が、自分の「再生への土壌」と変化していったのです。 「強制された信仰」は、弱った心に新たな重荷を課すだけになってしまいます。それは、もはや「宗教」ではなく「苦役という名の重荷」でしかありません。 心が本当に求めている「拠り所」は、もっと泥臭く、実用的で、確かなものです。それらは大きく分けると、心の回復を支える「三つの錨(いかり)」に分類することができます。第一の錨無条件の安心感と、静かな居場所ただ隣にいる存在:批判も余計な
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