在家僧侶として歩む私の傍らには、いつも薬師如来が静かに鎮座されています。
人々の病を癒やし、苦しみを取り除くとされるそのお姿を仰ぎ見るたび、私は21年前の自分を思い出します。
当時、うつ病という深い霧の中にいた私は、向精神薬に対して激しい拒絶感を抱いていました。「ココロに効く薬など、あるわけがない」――そう頑なに信じ、薬への疑念を拭えずにいたのです。
今は僧籍を得て、僧侶として、そして心理カウンセラーとして活動していますが、日々感じるのは、結局のところ「何を信じ」「何を自分に納得して取り込むのか」が、癒やしにおいて最も重要だということです。
私は、「薬にも魂が宿っている」と考えています。地獄の底のような苦しみの中で「うつ病を治したい」と救いを求めながら、一方でその助けとなるはずの薬(薬効)を信じないとしたら、それは自ら救いの糸を断ち切ってしまうようなものではないでしょうか。信じる心があって初めて、救いの糸は手元まで降りてくるのだと思うのです。
ですから私は、毎朝のお勤めの際、その日に服用するお薬を薬師如来の御前に供えます。そして静かに真言を唱えます。「この薬が薬師如来様のお力によって、私の体に染み込むように効きますように」そう願いを込めることで、一錠の薬は単なる化学物質ではなく、私を生かすための尊い力へと変わります。
世間には今も、精神科の薬に対する根強い偏見があります。「依存するのではないか」「自分を失ってしまうのではないか」という恐怖。しかし、医師の導きに従い、自身の体と対話を重ねながら適切に服用すれば、薬は決して私たちを縛り付ける鎖にはなりません。
「心の病は気の持ちよう」「薬に頼るのは情けない」という言葉に傷つく必要もありません。うつ病などは脳の機能調整を必要とする生物学的な疾患です。
根性論で解決しようとすることは、骨折を気合で治そうとするようなもの。早期の適切な治療こそが、回復への確かな近道となります。薬に頼ることを、どうか「負け」だと思わないでください。
薬師如来がその手に薬壺(やっこ)を持って微笑まれているように、現代の薬もまた、私たちが再び自分らしく歩き出すための慈悲の現れなのです。何を信じ、何を受け入れるか。その納得の先に、光は見えてくると私は信じています。
沙門蒼俊 合掌
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