私は、ちょっとだけ複雑な環境で育ちました。
母は16歳で私を産み、父はチンピラ。そしてそんな生活は長くは続かず、母は子供三人を連れ、家を出ていきました。16歳で産んだ母は、学も資格もなければ経済力もありませんでした。
なので私だけ、祖父母と暮らしました。祖父母と言っても祖母は44歳。子育てが一段落し、就職し再スタートを切った矢先でした。
祖母の口癖は「意気地なし」「私は明るい子が好き」と押しつけの言葉が多く、仕事や家族の愚痴聞き役として、私を利用していました。
昔から、私はとても泣き虫でした。泣く度に、「あんたの涙は安い」「女は簡単に泣くものじゃない」と、祖母と母にいつも言われ、孤独を感じていました。
母と一緒に暮らす弟と妹は、ネグレクトを受けていましたが、それでも母と暮らせる価値がない私からしたら、とても羨ましかったです。だから、たまに会うたびに暴力を振るっては、仲良くしたいのにと悔しくて泣いていました。
友人は一人いればいいと小学一年の時に思い、ずっと一人の子とだけ遊んでいました。そしてこれから先の人生もずっと、とてもつまらなく光の当たることのない人生を送るのだと、諦めていました。
そんな母と弟妹と離れて暮らした10年は、私にとって暗黒の10年でした。
中学三年の夏。ある日突然、私は母と弟妹と暮らし始めた。でも、妹は5歳年下で、一緒に暮らした記憶はなく、ギクシャクした空気で暮らしていましたが徐々に距離は縮まっていきました。
また、転校したお陰で性格が明るくなり、友人はクラス関係なく沢山作れました。そして高校生になってからも同様に多くの友人に囲まれていました。
でも、異性と交際をするようになると、常に不安を感じるようになっていました。
「完璧でないと愛されない」「尽くさないと価値がない」と常に思っていました。母には「自分を大切にしなさい」と言われていましたが、大切にされる経験をしたことがないのでその言葉の意味が分かりませんでした。
なので、安心が欲しくてそれなりの方と結婚をしました。
パートナーとの間には二人の子供が産まれましたが、「お前には俺としか結婚生活を送れない」「価値がない」「成長がない」「俺の親の前でチャラチャラするな」「しゃべるな」という言葉と、性の強要、DVも少しずつ受けるようになっていきました。
ただ、自分の価値がないから。自分が悪い存在だから。そうされるのだと自分を責めてばかりいました。
そんな毎日を送り、ふと母と離婚した父を思い出すことが増えていきました。父とは5歳以降、一度も会っていません。本当に人として最低なことを沢山していたしDVもしていました。
そんな父のことを母は、「生ごみは早めに捨てないとね!」と、周囲に自慢気に言っていました。でも、その言葉を聞く度に、私は自分の存在を母親に否定されていると感じ、胸が痛くなっていました。そして父への気持ちを決して口にしてはいけないと思っていました。
5歳の頃。まだ補助輪なしで自転車に乗れない私を、父は団地の広場に連れていき、自転車に乗る練習をしてくれました。
練習をしている時に、同じ幼稚園に通う子供たち10人くらいに囲まれ、男の子達が自転車で私達の周りをグルグル回りながら、口々に自転車に乗れないことを馬鹿にしてきました。
友達に恥ずかしい所を目撃された私は、父親もその友人達と同調するとばかり思っていました。逃げ出したい気持ちでいっぱいの私は、目をぎゅっと瞑り父の後ろに隠れていました。
しかし父は「乗れないから練習しているんだよ」と、落ち着いた声で返答し、後ろで隠れている私の盾で居続けてくれました。
たった、それだけの出来事。
だけど、何年経っても、何回思い出しても涙が溢れてくるぐらい、私にとっては感謝でいっぱいの出来事でした。
この思い出のお陰で、人は寂しい時、不安な時。言葉はなくても傍に居るだけで安心出来るものだと知れました。そして、それは、私の生きる原点となっていました。
思い返せば学生時代は、いじめを受けている同級生を見かけては声をかけ、一緒に過ごしていました。そして、人に寄り添うことを仕事にしたいと看護師にもなりました。
けれど、この気持ちは母に伝えてはいけないと、そうずっと思っていました。
パートナーにも、恥ずかしくて言えませんでした。でも、私にとって、とても大切な思い出ということだけは、自分自身でも心のどこかで気づいていました。
自身の原点であると気づいた時。私は自分の人生をもう一度やり直してみようと思えました。なので、離婚の決意をしました。
結局、パートナーに離婚を切り出しても何度も言いくるめられ、精神的にも身体的にもより辛い状況になりました。そして、別居する二週間前から別居するまで、見つかったら飼い殺しにされてしまうという恐怖に怯えていました。
毎晩泣きながら、「こんなにも飼い殺しにされる恐怖を感じなければならないのなら、いっそのこと誰か殺して。死にたい」と何度も願いました。でも、二人の幼い子供の顔が頭をよぎり、それだけは出来ませんでした。
別居後は、脅迫まがいの電話がありましたが弁護士を立て離婚調停の申し立てを行い、約二か月後には離婚を成立させました。そして、自分の幸せを実感出来た私は母に父親との思い出を伝えることが出来ました。
今までの人生。私にとって、とても辛かったです。
でも、自分の原点に気づけたこと。それは私の人生に、とても大きな影響を与えてくれました。様々なことを乗り越えて感じたことは、多くの支えがあったから生きてこられたこと。
そして、今は自分らしく笑顔でいられる自分であることが一番の幸せだと感じています。
私の経験が、生きづらさを感じている方の手助けになるのではないかと思い、ココナラでの電話相談に踏み切りました。
一人でも多くの方が、自分の未来を諦めないでいられることを、早く感じてほしいから。
そして、あなたの無限大な可能性を私は知っているから。