愛着障害①

記事
学び
心療内科で処方してもらった薬を飲みながら、ひたすら自分を楽にしてくれる情報をインプットした。

そのときに一番しっくりきたのが、愛着障害だった。

自分は愛され得ぬ存在だから、何かの分野で輝かしい功績を残すことによってでしか人々から認められない。けれども自分にその能力があるかは甚だ怪しい上に、人から馬鹿にされるのが怖いから失敗は決してできない。だからといって、他力を借りることはできない。どうにか自力で何かの功績を残さねばならないが、その術がない。
出展:鶏さんのブログ
自己否定感の自力改善を目指すサイトより

この言葉は自分という人間をよく表した言葉だ、
この原因が人間不信であり、人間不信の原因が愛着障害であるらしい。

実は、この記事は心療内科に行ってから見つけたものではない。
この記事を読むのは2度目だった。

私を振った彼女へ、わたしが紹介したのが1度目だった。

当時、毎日のように連絡を取り合っており、彼女が仕事でうまくいかないことについて、愚痴を聴いたり相談にのっていた。

求めていないアドバイスはしなかったし、本当アドバイスを求めていたときは真剣に回答した。
それでも、彼女は感情的になることが多く、会話をすれば怒るか泣いていた。

そんなときに、もしかしたらと思って紹介したのが先ほどのブログだった。

感情的にならない比較的温厚な時「あなたは私にそっくり」とか
「鏡の法則、投影」
とよく彼女は言っていた、当時はそんなこと思わなかったが今となってはよくわかる。

彼女はもう一人の私と言えるくらいそっくりだった。
遊戯と闇遊戯みたいな関係である。

愛され得ぬ存在と思いつつも、人間不信でありながらも彼女に対してはもしかしたら…という思いがあった。
もう一人自分のような存在で唯一の味方である一層彼女に認められたかった。

気が付くと幸福の基準が彼女になっていたのだ。

ただ、そんな彼女にも頼ることができなかった。弱い自分をカッコ悪い自分を見せられなかった。
こういうところが本当に自分でもめんどくさいと思う。

彼女が愛着障害だったのかはわからない、しかし彼女のことが好きだった自分は間違いなく愛着障害であり、彼女にどっぷりと依存していた。

依存してズブズブの関係になりやすいのも愛着障害の特徴らしい。

自分は愛され得ぬ存在だから、何かの分野で輝かしい功績を残すことによってでしか人々から認められない。けれども自分にその能力があるかは甚だ怪しい上に、人から馬鹿にされるのが怖いから失敗は決してできない。だからといって、他力を借りることはできない。どうにか自力で何かの功績を残さねばならないが、その術がない。
愛着障害を知る前にこの内容を見たとき、
私はこんなの当たり前のことで、誰にも当てはまる。都合のいい言い訳だろうと思っていた。

それぐらい、私にとってこの言葉は当たり前のことだったのだ。
しかし、愛着障害を知りこのようなことを考えずに幸せに生きている人間の存在を知った。

愛着障害ではない側の人間はごく自然に人間を信じ、助けを求め、世界は自分の味方であると思って生きているらしい。

ここ10年で一番の衝撃だった。
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