なぜ子どもたちはトー横に集まるのか
家庭にも学校にも居場所がない子どもたち
夜の街に、子どもたちが集まってくる。
大人はその光景を見て、眉をひそめるかもしれません。
「なぜ、そんな危ない場所に行くのか」
「家に帰ればいいのに」
「学校に行けばいいのに」
そう思う人もいるでしょう。
けれど、その言葉は、子どもたちには届かないことがあります。
なぜなら、その子にとって、家も学校も、すでに安心できる場所ではなくなっていることがあるからです。
家に帰っても、心が休まらない。
親と話すと責められる。
きょうだいと比べられる。
家庭の中に緊張がある。
自分の本音を言える空気がない。
そんな子どもにとって、家は「帰る場所」ではあっても、「休める場所」ではないのかもしれません。
学校も同じです。
教室に入るだけで苦しくなる。
友達の輪に入れない。
いじめられた経験がある。
先生の言葉に傷ついた。
周囲と話が合わない。
集団の空気に疲れきってしまう。
不登校の子どもは、学校を嫌っているだけではありません。
学校でこれ以上傷つかないように、自分を守っている場合があります。
特に、発達特性やギフテッド、2E傾向のある子どもは、周囲から誤解されやすいことがあります。
頭の回転が速いのに、提出物が苦手。
大人びた話はできるのに、同年代と話が合わない。
感受性が強く、何気ない一言で深く傷つく。
好きなことには驚くほど集中できるのに、学校の単調な課題にはまったく心が動かない。
周囲からは「わがまま」「扱いにくい」「やればできるのに」と見られることがあります。
でも、本当は違うのかもしれません。
その子は、自分に合わない環境の中で、必死に耐えてきただけかもしれません。
トー横に集まる子どもたちは、ただ遊びたいだけではないと思います。
そこには、誰かとつながりたい気持ちがあります。
自分のことを説明しなくても、そこにいていいと思いたい気持ちがあります。
家でも学校でも出せなかった自分を、少しだけ出せる場所を探しているのです。
もちろん、夜の街は安全な場所ではありません。
子どもの孤独につけ込む大人がいます。
優しい言葉で近づき、利用しようとする人がいます。
お金、薬、性、暴力、犯罪。
危険は確かにあります。
だからこそ、子どもたちを放っておいてはいけません。
でも、守るために必要なのは、ただ叱ることではありません。
「そんな場所に行くな」と怒鳴ることでもありません。
大切なのは、その子がなぜそこへ向かったのかを見つめることです。
子どもが夜の街に向かう前に、どこで傷ついたのか。
誰に助けを求められなかったのか。
どんな言葉を飲み込んできたのか。
どんな場所なら、安心して息ができるのか。
そこを考える必要があります。
厚生労働省の資料でも、新宿・歌舞伎町に集まる若者の中には、親のDVで居場所がない、家出を繰り返す、不登校になった、SNSでつながった相手に巻き込まれるなど、複雑な悩みを抱えた相談があることが示されています。問題は、単なる非行ではなく、家庭・学校・孤立・搾取が重なった深い生きづらさなのです。
子どもたちは、危険な場所を求めているのではありません。
本当は、安心できる場所を求めています。
自分を否定しない人。
話を最後まで聞いてくれる人。
失敗しても見捨てない人。
「ここにいていい」と言ってくれる場所。
それが家庭や学校の中に見つからなかったとき、子どもは外へ向かいます。
夜の街に向かう子どもを見て、私たち大人が考えるべきこと。
それは、「なぜ行ったのか」と責めることだけではありません。
「なぜ、その子にとって他に居場所がなかったのか」と考えることです。
そして、その答えは大人の側にあります。
家庭だけで抱え込まないこと。
学校だけに任せきりにしないこと。
行政や地域、支援者、安心できる大人たちが、子どもを受け止める場所を増やしていくこと。
夜の街に行かなくても、誰かとつながれる場所をつくること。
それが、これからの子ども支援に必要なのだと思います。
子どもは、居場所があれば変わります。
安心できる大人に出会えば、少しずつ言葉を取り戻します。
お腹いっぱい食べられる場所があれば、表情がやわらぎます。
否定されない時間があれば、「もう一度やってみようかな」と思える日が来ます。
トー横に集まる子どもたちは、社会から外れた子どもではありません。
私たちの社会が、まだ十分に受け止めきれていない子どもたちです。
だからこそ、必要なのは排除ではありません。
見守ること。
つながること。
守ること。
そして、その子が夜の街ではなく、昼の光の中で安心して過ごせる居場所を、一緒に探していくことです。