【トー横】夜の街に立つ若者たち

【トー横】夜の街に立つ若者たち

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コラム

「自己責任」で片づけられない歌舞伎町の現実


新宿・歌舞伎町。
夜になると、街の色が変わります。
巨大なビルの明かり。
酔った大人たちの声。
ホテル街へ向かう人の流れ。
そのすぐそばに、若い女性たちが立っています。
何かを待つように。
誰かに見つけてもらうように。
けれど、本当は見つかってはいけない場所にいるかのように。
彼女たちは、いわゆる「立ちんぼ女子」と呼ばれています。
言葉だけを聞くと、軽く聞こえるかもしれません。
しかし、その実態は軽くありません。
危険です。
違法です。
そして、何よりも痛ましい現実です。
道端に立つ女性に、男性が声をかける。
条件が合えば、そのままホテル街へ消えていく。
その光景が、夜の街では日常のように繰り返されています。
でも、そこで立っている女性たちは、最初からその場所にいたかったのでしょうか。
多くの女性たちは、自分のしていることが違法だと分かっています。
逮捕されるかもしれないことも知っています。
望まない妊娠、暴力、盗撮、金銭トラブル、約束を破られる危険があることも分かっています。
それでも、そこに立つ人がいます。
なぜなのか。
理由は一つではありません。
生活のため。
家がないから。
ホテルを転々としているから。
今日のお金が必要だから。
推しに使うお金が必要だから。
誰かに大切にされたいから。
そこに行けば、仲間がいるから。
話しかけてくれる人がいるから。
寂しさを忘れられるから。
大人は、「なぜそんな危ないことをするのか」と言いたくなります。
でも、その問いだけでは届かないと思います。
本当に問うべきなのは、
なぜ、そこに立たなければならないほど追い詰められたのか。
なぜ、そこに行けば居場所があると感じてしまったのか。
なぜ、誰かに買われることでしか、自分の価値を感じられなくなったのか。
そこなのだと思います。
取材の中では、男性側にも声がかけられます。
女性に声をかける大人たち。
違法だと分かっている人もいる。
罰則がないことを知っている人もいる。
そのうえで、声をかける。
ここに、夜の街の残酷さがあります。
路上に立つ女性だけが責められやすい。
けれど、その行為は相手がいて成り立っています。
お金を持った大人がいる。
若さや孤独につけ込む大人がいる。
「自己責任」という言葉の裏で、利用する側の責任が見えにくくなっている。
この構造を見落としてはいけないと思います。
もちろん、違法な行為を肯定することはできません。
危険な行為を放置してよいわけでもありません。
けれど、ただ取り締まるだけで、この問題は終わるのでしょうか。
一時的に人がいなくなっても、ネットの中に移るだけかもしれません。
別の場所に散るだけかもしれません。
もっと見えにくく、もっと危険な場所へ移動してしまうかもしれません。
だから難しいのです。
そこに立つ人たちは、単にお金だけを求めているのではない場合があります。
「そこに行けば友達がいる」
「誰かが話しかけてくれる」
「自分を必要としてくれる人がいる」
そう感じてしまうことがあります。
それは、とても危険な居心地のよさです。
お金が入る。
誰かに選ばれる。
仲間がいる。
その場では、寂しさが薄れる。
でも、心や体は少しずつすり減っていきます。
感覚が麻痺していく。
危険が日常になる。
自分を大切にする感覚が遠のいていく。
最初は「早くやめたい」と思っていたはずなのに、いつの間にかその場所に戻ってしまう。
それが、この問題の怖さです。
大久保公園の周辺に立つ女性たちは、特殊な人たちではありません。
どこにでもいそうな若者です。
普通に話す。
普通に笑う。
淡々と答える。
だからこそ、見ている側はショックを受けます。
なぜ、こんなに危ないことを、こんなに普通の顔で話せるのか。
でも、それは強いからではないのかもしれません。
傷つきすぎて、感覚を鈍らせなければ立っていられないのかもしれません。
怖いと思い続けていたら、その場にいられないから、怖さをどこかに押し込んでいるのかもしれません。
この問題は、トー横キッズの問題ともつながっています。
家庭に居場所がない。
学校に居場所がない。
SNSでつながっているようで、深く孤独。
お金がない。
認められたい。
必要とされたい。
誰かに話しかけてほしい。
そうした若者の寂しさが、夜の街に吸い寄せられていきます。
そして、その寂しさを利用する大人がいます。
だから、私たちは若者だけを責めてはいけないのだと思います。
本当に必要なのは、危険な場所に行かなくてもすむ居場所です。
家がないなら、安心して泊まれる場所。
お腹が空いているなら、ご飯を食べられる場所。
困っているなら、責められずに相談できる場所。
お金の問題があるなら、生活を立て直す支援。
学校や家庭で傷ついたなら、もう一度人を信じられる関係。
そして何より、「あなたの体も心も、使い捨てにされていいものではない」と伝えてくれる大人です。
夜の街に立つ若者たちを見て、私たちは簡単に裁くことができます。
「だらしない」
「危ない」
「自己責任だ」
「なぜやめないのか」
でも、その言葉で救われる人はいません。
必要なのは、きれいごとではありません。
現実を直視することです。
そこにお金が動いていること。
買う大人がいること。
若さが消費されていること。
孤独が利用されていること。
そして、その場所が、誰かにとっては危険でありながら、唯一の居場所になってしまっていること。
この現実を見たうえで、私たちは考えなければなりません。
取り締まりだけで終わらせるのか。
自己責任で片づけるのか。
それとも、若者がそこに立たなくても生きていける社会をつくるのか。
若者たちに必要なのは、説教だけではありません。
安心できる場所。
信頼できる大人。
生活を立て直す支援。
孤独を言葉にできる時間。
そして、自分の未来をもう一度信じられる経験です。
夜の街に立つ若者たちは、社会の外にいる人たちではありません。
私たちの社会が、まだ十分に受け止めきれていない人たちです。
だからこそ、責める前に、見つめたい。
排除する前に、支えたい。
その人が危険な場所でしか居場所を感じられない社会ではなく、昼の光の中で「ここにいていい」と思える場所を増やしていきたい。
若者の体も、心も、人生も、誰かに消費されるためにあるのではありません。
そのことを、大人の側が本気で示さなければならないのだと思います。
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