マズローの5段階欲求説 自己実現の欲求

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コラム
「保健室まるみ」です。
ココナラで電話相談と
テキストでの相談をやってます。



さて、やっと5段階目の欲求に来ました。

この「自己実現の欲求」というものを説明する
には、角度を変えて、言葉を変えて
何通りにも表現するとわかりやすいと
感じていますので、

一言で「こういうものです」とは言わないで
説明してみます。



5段階目は、これまでの4段階と
明らかに性質が違うらしいです。



4段階目まではまとめて
「欠乏欲求」と表現される様に、
自分に欠乏しているものを
埋めよう、満たそうとする欲求で、
それは1つ1つ満たしていけば
欲求が消失して行くと説明されています。



けれど5段階目の「自己実現の欲求」は
「成長欲求」「存在欲求」と表現され、
ある程度満たしたらOKになるという
ものではありません。
青天井で、無限に求め続ける感じで、
死ぬまで成長し続けたい、
自分の存在意義を求め続けたい
という欲求が人間にはある、とされています。



また、
人はこの5段階の中のどこか一箇所に
とどまっていることは出来ない生き物の様です。

例えば、4段階目の承認欲求を満たすレベルで
一生キープでも良い感じしませんか?
周囲に認められ、自分も自分を認めて、
結構幸せそうですよね?



でも人はそこで満足はしないらしいです。
求める続けるんですね、人間って笑。
次の段階へ行きたいんですね、人間って笑。



じゃぁ何を求めているのかというと、
「より一層自分らしく生きたい」
これを求めているらしいです。



ここでのキーワードは
「自分らしく」です。



4段階目の承認欲求の時は、
社会や環境ありきの発想なんですね。
「このルールの中ではこうなるとスゴイよね」
「こうなったら評価されるよね」などと
準備されたゴールを目指して走っている
感じなんですね。



でも自己実現は
ルールとか枠みたいなものがある発想ではありません。



マズローさんの本にはこう書かれているらしいです。
「人は、自分自身の本性に忠実でなければならない。
このような欲求を、自己実現欲求と呼ぶことが
できるであろう」って。



自分の本性って、
「ありのままの自分」とも言えるかもしれませんね。



作曲家や絵描き、詩人の例が出されていましたが、

そのことを社会が求めているかとか、
世の中で評価されるかとか、
そういうことを超えて、

曲を作りたい人が作り、
絵を描きたい人が描くんだ、という
そのプロセスが「自己実現の欲求」だと
されているんだと思います。



完全に実現したかどうかの結果を言っているのでは
無いと思うんです。

そこへ向かってのプロセスを言っているので、
常に死ぬまで「いま自己実現の道、歩き中です」
みたいな感じだと思います。

皆さんはどうお考えでしょうか。
ではまた。





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