「『過去生』が見えた」ってことがよくあるんだけれど
過去生の具体的な内容(いつ・どこで・誰が・何した)は
実はどうでもいいんです。
興味深いストーリーではあります。でも、それよりもっと大切なのは、
過去生で生じた傷や感情のエネルギーを今も持ち続けている
ということなのね。
たとえばわたしは、性的虐待を受けた過去生がいくつかありまして。
古代エジプトだったり、どっかの惑星だったりと場所も時代も状況も違って
それぞれのストーリーがあるんだけど、
ようは
「虐待の被害者」というエネルギーを今生に持ち越してきているそのエネルギーが浄化(解放)されていないから
今回の人生でも性的虐待もしくはそれに近いストーリー(経験)が
繰り返されていた。
ただそれだけのことなんですよね。
だから、わたしはなーんも悪くないし間違ってもないし頭オカシクもないし
意思が強いとか弱いとかってレベルの話でもないってこと。
そしたら自分を責めるのをやめられる。というか、
そもそも「自分を責める理由がない」ってわかるよね?
さらに言うとね。
だいたいその過去生でだってさ、いっぱい他者の影響受けてたわけよ。
当時の家族や友人や、文化的・社会的な集合意識からも影響されてるんだから
もう、最初の出どころがどこかなんて、わかりっこないのよ。
そうなるともう「わたしの過去生」が本当に「わたしの」過去生なのかどうかだって、けっこう怪しいと思いませんか?
つまり
いつの、どこの、誰ともわからん人からもらった重荷を
今の私が持ち続けていなければならない義理はないんですよ。
そもそも
わたしのじゃないんだから!
それがわかったら「あ、これ手放そうと思えば今すぐ手放せる」って
瞬時に気づけます。