面白いと思う気持ちは、自分からしか始まらない
「これ面白くない?」という感覚は、誰かに言われて生まれるものではないと思う。誰かに求められて動くのもいいけれど、根っこにあるのはやっぱり、自分の中から湧いてくる「これやってみたい」という衝動だ。
誰かに止められても続けたくなる気持ち、そのくらいの強さがあるときにこそ、創造は始まる。面白いと信じる力、それを出発点にするしかない。
もちろん、それだけでは人に届かない。けれど、最初の一歩にそれがなければ、結局どこへもたどり着けない気がしている。
創ることは、孤独と遊びのあいだにある
形にしていく作業は、どこか孤独だ。誰かに「それ、やったら?」と言われて作るのも悪くはないけれど、本当に面白いと思うことは、自分の中から勝手に生まれてくるものだし、それを最後までやりきるしかない。
形にしなければ始まらない。どれだけ頭の中で面白くても、形にならなければ世界には存在しない。
それを外に出すには、少しの勇気と、自分との地道なやり取りが必要だ。
面白いかどうかなんて、結局はその人の感覚でしかない。他人の感想や評価に耳を傾けることも必要だけど、自分の感覚を信じているかどうかが核になる。
そこにある種の孤独はあるけれど、それが苦しいものかといえば、そうでもないと思う。ただ、孤独の中に楽しみがなければ、創造は続かない。
試して遊んで、キリをつけるのも自分
創って、遊んで、試してみる。その繰り返しの中でしか、本当に面白いものは生まれない。やりきるとは、飽きるまでやることでもあるし、自分で「ここまで」とキリをつけることでもある。
そのキリのつけ方は、自分で決めるしかない。終わり方に正解はなくて、誰かに怒られることもない。そもそも責任という言葉は、創ることの文脈ではあまり使いたくない。義務になると、何かが萎縮してしまうからだ。
大事なのは、遊びのような軽やかさを持ち続けること。作ることを義務にしないために、どう楽しむかを忘れないこと。それが、創造を続ける鍵になると僕は思う。