「面白くないことはやめよう」。
一見、衝動的でわがままな考えに見えるかもしれません。
「何をもって面白いと感じるのか?」
「自分にとっての面白さをどう定義するのか?」
という問いがあっての上の話です。
ただ惰性で日々を過ごすのではなく、自分自身に問い続け、軌道修正する姿勢が求められるわけですね。
これは逆に辛い人もいるわけで、だから「パッケージ化された面白さ」を求めるのも分かるんですよ。自分次第ってことですね。
面白さは「与えられる」ものではない
まず最初に考えたいのは、「純粋に面白いこと」などは存在しない、ということです。どんな出来事や仕事も、それが面白いかどうかは自分の関わり方次第。
どれほど平凡で退屈に見える作業でも、自分の中に少しの創造性を働かせることで、そこに「面白い」という感覚を付与することができます。逆に、どんなに楽しそうな活動も、自分が何も工夫しなければすぐに飽きてしまいます。
つまり、「面白くないこと」とは、外部の状況が悪いのではなく、自分がその状況を面白くする余地を見出せないことを意味します。
そして、そんな余地が1%もない場合、それに固執する必要はないのです。(逆に1%あればやってもいいのかもですよね。)
主観と客観、面白さのバランス
ここで注目したいのは、「面白さ」が主観的なものか、それとも客観的なものか、という視点です。主観100%の面白さは、自己満足の世界に近いアートのようなもの。一方、客観100%の面白さは、周囲の目を意識したデザインやロジックに基づくものと言えます。
例えば、絵を描くときに「自分が描きたいものを描く」のは主観全開のアート、「相手にどう見られるか」を重視して描くのは客観重視のデザインです。
どちらも全力で突き詰めると、偏りが生じ、しばしば息苦しさやつまらなさを伴います。ここで必要になるのが、主観と客観のバランスを取ること。
主観的な「好き」や「面白い」という感情をベースにしつつ、それが少しでも他者との接点を持てる形に仕上げる工夫が重要です。
面白さの1~2割がもたらす力
しかし、日常の中で「面白いこと」ばかりを選んで生きていくのは現実的ではないかもしれません。だからこそ、全てを「面白い」で満たす必要はなく、ほんの1~2割でも「これなら続けられる」「ちょっとやってみたい」と思える要素があれば十分です。
その1~2割こそが、自分の中の創造性や工夫の余地と直結している部分。面白さの核とは、突き詰めればそうした「ちょっとした余白」に宿るのです。
反対に、その余白さえ見いだせないことを続けるのは、心身のストレスを生み、最終的には何も得られずに疲弊してしまう可能性が高いです。
だからこそ、自分が「面白い」と感じる1~2割を大切にする。そして、それが見つからないことには距離を置く勇気を持つ。それが健全な成長のための選択肢と言えるでしょう。
面白さを自分で作る
「面白くないことをやめる」とは、単なる放棄ではなく、自分の感性を信じて選び取る行為です。そして、それは同時に、自分の創造性を発揮する準備を整えることでもあります。ただし、面白さを他人に期待するのではなく、自分の中に見つけていくこと。
面白さの1~2割を手がかりに、日々の選択を積み重ねていく。それが、継続的に「面白い人生」を築くための秘訣なのかもしれません。
そうやって面白さが自分で生み出される、創造的になれば・・・かなり色々なことが楽しくなるはずです。オモシロしろ、みたいなのができる感じですね。