話すことへの興味と向き合う姿勢
話すことが好きなのかもしれない——ふとした瞬間にそう思った。
きっかけはラジオでの一人語り。好きと言い切れるほどではないにしても、言葉を紡ぐこと自体には何かしらの魅力を感じている自分がいる。
ひとり語りという形式をやろうという積極的なことはほとんどないが、気づいたらしていたというのが正直なところだ。
ポッドキャストを続けているとはいえ、自分の思いを声で伝える行為にはどこか迷いや照れがつきまとっていたのかもしれない。遠慮していたというか。聴いている人がどう感じているかは分からないけど。
でも、最近になって少しずつその意識が変わり始めている。
少し違うのだが、例えば遊ぶ企画みたいな友人だけで集まる企画にをやってみると、意外に反応が良かったりする。(まだやってないけど、やる前から楽しそうと思われている感がある)
それは、自分がそういう場を求めていたからであり、同時に他者もそれを求めていたからかもしれない。「提案」や「企画」を通じて形になる瞬間の喜びを知ると、これまでの自分に欠けていたものが少しずつ埋まっていくような感覚がある。
そこに気づくと、遠慮して立ち止まっていたのは少しもったいなかったとまでは思わないけど、遠慮はあったのかもという認識にはなりそうだ。
話すだけではなく「やりきる」ためのアプローチ
とはいえ、ただ話すだけでは何か物足りない。言葉を紡ぐなら、それを行動や実践と結びつけたいと思う。
「やったから言語化できる」「やっていないから言語化できない」という考えがしっくりくる。
コメントするだけ、アイデアだけを出す人は多いかもしれないが、実際に動きながら考える人は案外少ないのではないか。
僕自身、前のめりな姿勢で「俺はこう思う」「君はどうだ」と問いかけることが好きだ。(それが妙な熱さになりそうだという遠慮があったってことだ)
それはシンプルだけれど、相手との対話を生む。重要なのは、ただの「コメンテーター」で終わるのではなく、やりながら進めていく姿勢だ。
当然なんでもやれるわけでもないしやれることはかなり限定される。のだけども、そこで何をやってみたいか。そこが大事なんじゃないかと思う。僕だってそういってもコメントだけのことなんてめちゃくちゃ多い。だからこそ、自分がやるところではしっかりやることを選ぶのではないかと思い始めている。
こうしたプロセスを大切にすることで、「話す」ことそのものが次第に変わってきた。話すことでアイデアが膨らみ、行動に繋がる。そして行動によって得た経験が再び言葉となり、次の対話や企画に繋がる。この循環を生むことが、自分のスタイルに合っているのだと思う。
正確には「きている」のであり「未来が予測されうる」ということで、そうなっていくんだろうという気分である。
話すことの価値を改めて考える
話すことは単に言葉を発する行為ではなく、自分自身を高めるための「集中力」や「実践」と同じくらい大切なものだと気づいたといっていい。
スポーツをする感覚に近い部分もあるかもしれない。言葉にして相手に伝える。それだけで完結するのではなく、そこから「やりきる」力が生まれるのではないかと感じている。
話すこと、企画すること、そして動くこと。それらは一つひとつ独立しているようで、実は密接につながっている。
これまでは「タイミング」や「流れ」を理由にして、積極的になれなかったこともあったが、それもまた必要なステップだったのかもしれないなと。無駄なことなんて一つもないと思うので。だからこそ、これからはもっと話してみようと思う。