塩梅が良さそうなのは「飽きない」ことっぽい

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ビジネス・マーケティング
よく仕事にするのは、「好き」とか「得意」とか「やってきたこと」を活かすってなりがちですよね。全く否定はないんですが、これってサンクコストとかもあるので気をつけたいと(サンクコストとは投じたからもったいないと感じる心理ですかね)。駄目ではないです。

そこで実践で使える、身体性がありつつ、理屈っぽくすぎないところってどこか。それ「飽きない」ことかなと。

そんな話を書いてみます。

結果的に続いているものに「ラベル」「感情」をつけると好き

何を言っているかというと、例えば僕はアイデア出しを10年前から「ずっとやるぞ」という未来はなかったんですよ。というか、企画やるぞくらいしかなかった。それを「アイデア」というのは結構難しく、実際にアイデアと企画はかなり異なりますと。

つまり、青写真とか未来図なんてなくて、じゃあどう選んだか、選んでいるかというと、直観です。「面白そうだな」「なんかいいよな」というところです。難しいとか、簡単とか、得意だからとか、人に言われたからは正直あってもやはり決定打ではない。理屈ではないってことです。

では、そういう面白いとかなんかいい!で選んだ人が今どういうかというと、「アイデア出すのが好きだったかもしれません」くらいなんです。嘘をついてはないけど、好きなのか?というと正直わからないんですよ。これ嘘じゃないですよ(笑)

よって、N=1ですが、好きだから出来ているってちょっと怪しくて。実際は好きな部分もあるが、それを続けられるには、好奇心があればあるほど飽きるわけです。AIでもいいし、ITでもいいし、畑とか農業とかでもいい。人間の研究でもいい。なんか面白そうなことは一杯あるし、僕も面白いなと思うわけですよ。これも嘘じゃないですよ(笑)

なのに、そこでアイデアというところでやれるかというと、飽きないから、または飽きていないから、もっと言えば、飽きる瞬間もさらに飽きてもさらに違う面白さがあるから。

なので、言語化の限界なのですが、誰かが「好き」とか「得意」とか、そういう言葉を発した時はかなり注意しています。本当かどうかが分からないので。信じるしかないんですよ。これらの言葉は。別にそれら以外も基本信じるしかないんですけど(笑)

ですが、「飽きない」くらいの塩梅が着地するかなと。苦手ではないとか、嫌いじゃないとかも良い感じです。それくらいのバランスが良いってことです。僕は。好き200%とかは多分崩壊するんじゃないかと。例えば実生活に支障をきたすとか、没頭すぎてご飯食べられないとか。それまずいじゃないですか。逆に嫌い200%って見ることすらしないですよね。

このあたりの塩梅は社会生活を進行(笑)することでしか得られないのかなと。だから大人になったり年を取るのは僕はかなりポジティブです。分からないことが分かるようになることもあるからですね。というかそうでないと老いってめちゃくちゃネガティブですよね。

最初から結論を出さないほうがいい、決めつけない方が良い

たまに明後日のところで、君はこんなことをしたほうがいい、みたいなことがあるわけです。最近はあまりないですが(笑)でもそういうのって結構大事で。本当に自分はそれに向いているか?

これについては人生生きている間に分かることのほうが少ないくらいじゃないか。つまり、分からないんですね。または分かる部分が少ないというか。だからこそ、想像したり、考えたりが良いわけですよ。

自分はこれしかやりません。かっこいいとか、絞り込んで良さそうに思えるかもですが、これって多くは見た目がそうなだけで、多くはその見える量の10倍の失敗や見えないものがある。つまり、僕でいえばアイデアを出すだけ見ていると楽そうとか、なんか楽しそうみたいな(笑)そう思う人もいるかもですが、必死に10倍藻掻いているんですね。涼しい顔しているから、楽ではない。白鳥式ってやつですね。優雅な白鳥は水面下でもがいてるから進むと。風に乗ることもあるでしょうがそれは稀かと。

10年もかけないと自分がやりたいことが分からないのかは正直分からなくて。でも、やりたいことがないとかって人のパターンは、問いをしていないとか、問いがずれていたり、様々な心理というか、世の中からの言葉、影響を受ける。あと心理もですが精神面の健康もある。生きる必要もあるし、まあ時間もないとか。かなりコンディションは最悪なわけですよ。僕もそう思います。だから、そういうところで明らめることはじつは結構簡単で。

極限で死にそうな時とかってのは別に想像しなくていいのですが、シンプルにそういう時こそ追い込まなくていいです!当然。何かじゃあ一個だけやるなら何やるか?ってなるんですよね。苦労すればいいとかってことでなく、そこで何を見るか。そういう時、すんなりと受け入れられる、自己受容の感覚というのがあるのは確かです。僕はあると思っている。スピリチュアルでもなくて、普通の感覚です。人誰もがあるというか。

そういうのもあるので、目の前のことをしっかりやるとか、学ぶとかかなり大事かなと。なので、決めつけて狭めないというか。僕は色々やったほうがいいかなと思うんですね。決めて他やっときゃよかったってなんかやじゃないですか。

当然手を出しすぎて何も進まないのも駄目ですけど、このあたり正解はないので、粘るしかないです(笑)

飽きないことを推奨する社会ではないかも

では社会的に「飽きないことをどんどんやれ」という社会というとそうではないような。なんか、適材適所とか個性を活かせなんてメッセージはでているわけですよね。それはいいと。

でも、自分が飽きないからこれでいいやっていうとなんかネガティブに聞こえると(笑)なんででしょうね。適当に選んでいる感じがするからですかね。

それを口にするかはおいておいて、結果論としては飽きないものになる。でも、実際の選択、場面場面の具体的シーンでは、好きかもとか、面白いかもがある。その蓄積が最終的に「飽きない」=継続しつつ自分をそこそこ出せる何か、ということかなと着地しました。

なので、飽きない=かなりポジティブな塊なんですね、僕にとっては。

飽きないがどこかに存在していて見つかるのでなく、見出すことに変わりはないです。これはなんでもそうです。そうやって少しずつでも進んでいくというか、学んで動いていく。その蓄積でしかないのかなと。
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