ワクワクする脳の作り方

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タイトル超胡散臭いですが(笑)

友人と話をしていて「つまらない」「興味がない」という単語を言わないというか、言う必要がないなと感じた瞬間があったんですね。友人もですが、僕もそういうことはあまり言わないと。

そこで実験として「つまらないよな、これ」というのを挙げようとしたのですが、驚くことにそれが出ませんでした。これってなんでだと思いますか?答えはないんですが(笑)僕が考えるには、ワクワクする脳があって、それだけなので、「不満」もネタだし、「嫌なこと」も一時は嫌ですがそれも糧になると。

そういうのをポジティブ思考と言ってもいいのですが、別に「受け入れてない」わけではないんです。理不尽だなー、社会ってそんな仕打ちをするのか(笑)といっても、それと考えていく方向性は別というか。伝わりますかね?怒りとかも長く続かないわけですよ。それほど怒れることって多分呆れ果てるとか、別の感情になるので。

そこで、ワクワクする脳ってどうやって出来るのか少し考えてみます。

否定とかが損という感覚になる

いきなりそうなるわけではないですが、否定するとかって意味ないよなと。

仕事として僕のところにはアイデアの相談をしたい人がやってきます。そこで偉そうにアドバイスすることはなくて、というか出来ないです(笑)よって、そういうところでその人の立場にたって考えると「ここを考えたほうがいいですよね、というかそうしていきましょうか」みたいなところになる。物言いというか、言い方もそんな着地です。

結局その人のアイデアや人格を否定することは絶対にないんですね。ここめちゃくちゃ大事です。だからか、またはそういうコミュニケーションを取るので、信頼頂いて相談頂くと。そこで僕も否定はなくて、改善やチャレンジや課題としてこうしてみるとどうか。こうしたらいいのではないか。アイデアやヒントが生まれるわけです。

確かに瞬間移動や瞬時にお金を得るとか「無理」ですが、あと反社会的なものはだめですが。そういうところでないなら、否定しないし、無理と言わない。

ここで否定する意味ってほぼないんですよ。否定されたらなんか気まずくもなるし、あとその人の考えが100悪いとかってほぼなくて。見方の違いなんですね。

ここで気づく人もいると思いますが、やっていることはカウンセリングとかコーチングとか、そういう類のものと多分変わらないんですね。プロの人がどう見るかは分からないですが。相手を否定しないけれど、当然ではそれをやるならこうしたほうがいいという。でも、それは「相手ができてない」ことに対して何か言うわけでもない。

ある種仮想フィールドを生成して、その絶対安全領域で話す。メタバース空間というのが分かりやすいか分かりませんが、そこは仮想でもあるけど、「事実」そこで感じるアバターを操作する人は生身の人間ですからメンタルはしっかりある。そこのメンタルは影響しているって感じですね。余計分かりづらくなったかもですが。

否定すると損なんですよ。というのが僕の仕事の論理でもあるというわけです。

冒頭の友人との話はプライベートですが、そういうところでも相手や考えを否定することはまずない。そういう考えがあるんだ、面白いですねで終わるというか。僕はそう考えないですが、といってもそれは「否定」ではない。否定って「ない」っていえば否定じゃないですよ。相手の考えを否定しないってことですね。

どうしたら楽しくなるかを考える

そうやって否定は損だよなと。考えていくと結局どうすれば筋が悪い感じのところでも、ワクワクできるか。楽しくなるか、なれるかを考えるようになります。これがまさにアイデアの土台といってもいいし、アイデア出しの土台となる。基盤といってもいい。

最初に否定しないだけで聴くのは一段階目なら、それを受け入れてではどうするといいでしょうか?と。促すだけなら出来ますが、そこで一緒に考える。楽しくなるにはこうすると良さそう。まさにそれがアイデアなんですね。

これもトレーニングはいるものの、誰でも出来ると考えています。だから、アイデアを出すことは楽しいし、同時にその場にいる人も楽しい。誰にとってもプラスになる。それが僕の考えるアイデア出しの場であり、そういう状況であある、場面であるというわけです。

ワクワクする脳が出来るとものさしはわりと自由

たまにここでも書いていますが、人の信条、つまり生き方やあり方みたいなものって否定する意味がないわけですよ。反社会的なら困りますけど。でないなら。

例えば、釣りが好きだから一生釣りしていたい。そのために色々考えて動いているし、生きている。そういう人がいたとして、僕は釣り全然好きでもないんですが、「そうなんですね、楽しそうですね」で話を受け入れるし聴けるんですね。あなたはどうですか?

そういう時に、釣りをする人生=人の人生ですけど、それと自分を比べる人がいるわけですよ。こっちはダンスの人生だとか(笑)どうでもいいじゃないですか。僕はどうでもいいと思っています。

でも、比較したい方はいらっしゃると。ならば「ダンスと釣り、人生を比較してどうか」は僕には分からないです。比較する意味はないと思うというわけです。ただ、比較する考え方も分からなくはない。そういう環境や考え方で生まれたらそうなりますから。

そこまで認めた上で、わくわくするのかですよね。ものさしとして、比較してそこで勝ち負けがあるんですかね?ちょっと分からない。そこってワクワクします?ってことです。僕はワクワクできないので、しないですよと。そういう比較。

そうなんです。ここで明確なのは、ものさしって自由となるというか。ワクワクするかどうか、だけではないのでしょうが、ワクワクしないことをあえてやっても・・・まあワクワクしないことをやったね、で終わるというか。それだけです。

では、逆にワクワクすることをやったらどうか?そうすると、ワクワクするので、楽しくてそれはやり続けられる。だから、釣りをやっている人はやり続けられてワクワクしているし。ダンスをする人もそれでワクワクするならそれでやっている。それだけです。

あともう一ついえば、ワクワクすることをやっていると誰も嫌がることをやらないのではないかとかって反論をする人もいそうです。極端ではありますが、ワクワクすることって人によって違うのと、あとワクワクする社会の方が、またはそういう集団形成をした方が楽しいのでそうやって社会を作りたいなあと思っています。少なくともこれ面白くない?といってやれるほうがいいよね、ということでそっちでありたいと。

少なくともワクワクすることをやると誰もワクワクしないことをやらないっていうのは、思考実験ならまだしも、自分がわくわくすることがなかったり、あとは比較して考えがちな方に多そうです。そういうのはマインドセットや考え方とかが強固にあるので、なかなか客観視も出来ないところかもしれません。

やや長くなりましたが、ワクワク脳があると、もう否定もいらないので、前の話ではないですが自分に集中できると。できてないってことは、ある種ワクワク脳でなく比較脳とか、他人のものさし脳みたいなものかもしれません。それを完全に否定するとかはないですが、僕はそうしないし、僕はそこには無関心です。そのリソースがあれば、自分がワクワクしたり、または他人をワクワクするというところにリソースを使いたいなと。
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