「長崎2日目は雲仙へ」

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ども~、皆さん元気い~~!

「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。

今日も最高のさつき晴れ!レンタカーで島原半島の雲仙に行きました。

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愛野展望台。島原半島のくびれにあります。マイカー休憩には最適です

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奥に霞んで見えるのは長崎半島。愛野展望台には昭和天皇が3度も訪れたとか

雲仙と言えば「雲仙普賢岳」(1359m)を思い出します。今からちょうど35年前の1991年6月3日、普賢岳が大噴火し、“火砕流”が発生しました。“火砕流”という言葉をはじめて耳にしました。

数百℃もあるドロドロの火山灰や岩が、物凄い速さ(時速100kmを超えることも)で流れ落ち、木々だけでなくすべてのものを焼き尽くしてしまいます。

死者、行方不明者は43人とのこと。被害者の中には身元を判別しようもなかったか、跡形もなくなってしまった人もいたようです。かなりショッキングなことです。

あれから35年経ち、普賢岳のイメージも回復し、今は観光地として賑わっています。

そしてさらに島原半島の中央部までしばらく車で坂道を上がると白い湯けむりが目に入ってきます。目的地「雲仙地獄」です。

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「湯けむり橋」から歩き始めます

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「お糸地獄」 “お糸”は夫に密通がばれ、愛人の手を借りて夫を殺した罪で処刑されたが、死刑執行の瞬間、地の底からぶくぶくと音を立てて地獄が現れたことから、この名が付いた。

高台にキリシタン殉教碑があります。“殉教”とは、信仰を守って自らの命を犠牲にして死を受け入れることです。


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キリシタン殉教碑

ここ“雲仙地獄”が殉教の舞台となったのは1627年~32年。幕府のキリシタン弾圧は凄まじく、信徒らは煮え返る池の岸で棄教するよう説き勧められました。

拒否した者は服を脱がされ、両手両足を縄でくくりつけられ、ひしゃくで熱湯を浴びせられました。

キリシタン殉教碑は、明治時代に立てられました。モニュメントには拷問で殺されたおよそ 33名のキリスト教徒の名が刻まれています。

ひどいことをしたものです。こういうことは学校では聞いてませんよね。

さて、島原市街へランチを食べに向かいました。なぜか「猪原金物店」。明治10年創業以来という立派な古民家です。2003年に国の登録有形文化財に認定されたそうです。

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「猪原金物店」 茶房「速魚川」(はやめがわ)

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登録有形文化財の全景(パンフレット)

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レトロだけど洒落た内装

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「きまぐれランチ」(平日限定10食 1550円税込)

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最後に島原名物「寒ざらし」 ほどよい甘さ


腹ごしらえの後は島原城に向かいました。多くの城がそうであったように、島原城も明治維新後、廃城解体されました。しかし島原市民の「島原城復元」の活動によって、1964年、現在の島原城が再建されました。

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島原城 (横になってごめんなさい)

城内は、キリスト教カトリックの普及と弾圧について詳しく展示されていました。

誰もが学校で習った宣教師“聖フランシスコ・ザビエル(1506〜52)”は、ポルトガルの人と思っていましたが、“ナバラ王国”(現在のスペイン)生まれだったのですね。

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フランシスコ・ザビエル

ザビエルは、インド、中国を経由し、日本の薩摩(鹿児島)から布教活動を始めました。約2年間の滞在で多くの信徒を得ました。

長崎平戸に入ったこともありましたが、それほど長くはなかったようです。

ザビエルは日本のことを高く評価していました。「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。」と…

この評価は、イエズス会を通じてローマ教皇にも届いていたことでしょう。

日本への強い気持ちがうかがえます。残念ながら46歳の若さで亡くなってしまいました。


「島原の乱」後、キリスト教カトリックへの弾圧は厳しさを増し、まさに命がけになっていきました。

それでもなんとかキリスト教カトリックに救いを求めたい人が多くいました。“隠れキリシタン”は、信ずるモノがほしい。世の中が悪くなればなるほど、無抵抗の人の祈りは強くなります。

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聖マリア像ならぬ“マリア観音像”

話しはかなり逸れますが、隣国の韓国は、国民の半数は無宗教ですが、次に多いのがキリスト教(プロテスタント)なんですよ!なんと30%もキリスト教信徒がいます。

日本はほとんどが無宗教ですが、キリスト教が普及していたらどんな国になっていたのでしょう?

天守閣から“普賢岳”が見えました。若い人は知らないでしょうが、僕ら世代では“雲仙”と言えば“普賢岳”というくらい衝撃的でした。今は穏やかな山に見えます。

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天守閣から見た普賢岳

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島原城スタンプラリー完成!やったあ(子どもか!)


その後、島原の街並みを散策しました。

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武家屋敷へ。かなり歩かないとならないため途中で断念。中央の水路だけでも当時の武家の生活を偲ぶことができました。

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平日の商店街は少し寂しい

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湧水庭園「四明荘」 当時の開業医の別邸だったらしい

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鯉が泳ぐ庭園の池へは一日に約3000トンもの清水が流れているそうです。一段高い屋敷から庭園を見下ろすと座敷と庭園の一体感があります。

島原はここまで。

島原は、自然、歴史、宗教などいろいろな発見が多くて「これを知らずに生きてきたのか?」と思いました(ちょっと大袈裟か)。

この後、夕方の長崎に戻りました。次回は同じ日の夕方からです。




これからも「四柱推命」を活用しながら、皆さんの幸せのお役に立ちたいと思っています。

次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。

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