ども~、皆さん元気い~~!
「さぁ、もっと幸せに!」が、このブログのテーマです。
帰ってきました!長崎4日間の旅。
午前中、病院の定期検査を済ませ(特に問題なし)、夕方のANAで大阪伊丹から長崎空港へ。久しぶりの国内線。海外に比べればずっと気楽ですが、飛行機はやっぱりワクワク感があります。
待ち時間、スタバで喉を潤す。リユースグラスで環境への配慮は忘れない。
久しぶりのプロペラ機ボンバルディア(DHC8-Q400)
たまたま座席から車輪が見えたので、離陸にかかる時間を測ったら15秒くらいだった。離島など小さな空港でボンバルディアは重宝されているそうです(約1,000mの滑走路長でOK。ジェット機は1,500m以上らしい)
今回の長崎旅行のきっかけのひとつは、好きな作家“吉田修一”の出身地だからですが、彼はANA機内誌『翼の王国』の連載エッセイを書いていました。それも9年半(2007.4〜2016.9)という長期間。後に文庫本になりましたので、僕は全部読んでいます。
久しぶりのANA『翼の王国』
今回の短い搭乗では機内に置いてくれてないかもしれないな?と思っていたら、CAさんが笑顔で持ってきてくれました。「これ、これ!」
読み終えないうちにもう長崎空港に着陸。
空港から長崎市内へは約50分。アクセスはあまり良くないですがそれもそのはず。長崎空港は長崎市ではなく、大村市の大村湾内にある無人島(箕島)にあります。そのほぼ全域が空港になっていました。
空港からの長崎駅行きバスは無人島から箕島大橋を渡って本土へ。
あらためて長崎の知識がなかったなあと思ったのは、“壱岐対馬”と“五島列島”は長崎県所属ですが、“雲仙天草”の、“雲仙”は長崎県ですが、“天草”は熊本県になります。
小学生の頃、覚えた「雲仙天草国立公園」は、長崎県の島原半島と熊本県の天草諸島だったのです(そう言えば、各地の国立公園記念切手も集めていたよな)。
もう少し調べてみると、1934年に雲仙国立公園として、瀬戸内海国立公園,霧島国立公園とともに日本最初の国立公園に指定されました。その後、天草地区が1956年に編入され、現在の「雲仙天草国立公園」と改称されました。
そんな経緯、来てみて初めて知ることができました。
2022年9月23日に開業した西九州新幹線の長崎駅。
長崎駅隣接のマリオットホテルから眺め
少しホテルで休憩してから、徒歩で夕食のために出島ワーフに向かいました。“ワーフ”とは、船を横付けする「埠頭」、「波止場」のことです。
夕暮れ時、徒歩で出島ワーフへ向かう 良い雰囲気。右手は海
“出島”と言えば、江戸幕府がとった日本の鎖国政策の時、数少ない外国との通商窓口で有名ですね。当時(17世紀前半〜19世紀半ば)は、日本に入ってくる外国人の制限だけでなく、日本人の海外渡航も禁止でした。
出島は、オランダと中国の窓口でした。
鎖国政策の目的は、“幕藩体制の維持”にありましたが、特にキリスト教を厳しく禁止しました。
江戸幕府は初めからキリスト教に厳しかったわけではありませんでしたが、「島原の乱」(1637〜38)によって、キリスト教の禁止が決定的になりました。
「島原の乱」は、島原藩主の農民への過酷な年貢の取り立てが元で、幕府軍vs.一揆軍との戦いに発展しました。
その時、幕府軍についたのが“ネーデルランド共和国(後のオランダ)”でした。また一揆軍(農民)についたのが、キリシタン天草四郎を総大将としたキリスト教徒(ポルトガル人含む)です。
結局、圧倒的に戦力で勝る幕府軍が勝利するのですが、キリスト教徒は拷問や処刑など厳しい迫害を受けました。
もちろんキリスト教(カトリック)を布教した多くのポルトガル人も処刑されました。
「じゃ、オランダは?」。当時は一応キリスト教(カトリック)でしたが、貿易などのお金儲けには熱心な割に、布教には関心がなかったようです。
「島原の乱」のあと、出島にいたキリスト教を布教したポルトガル人は追い出され、平戸にあった“オランダ商館”が出島に移され、出島はオランダ人が駐留するようになりました。
ちなみに出島は、中国との貿易窓口でもありましたが、「島原の乱」の時は表面上はどちらにも加担していないようです。現在の習近平の中国に似ていますね。
出島ワーフ
出島トルコライス。事前にチェックはしていたが早くも現れた
あさりとえびときのこのアヒージョ
夜の稲佐山。ここからの長崎の夜景がきれいらしい(期間中に行けるかは未定)
長崎がこんなに“日本の夜明け”を感じられるところだとは思っていませんでした。まだ学ぶことが多いなと感じた初日でした。
明日は、レンタカーで島原半島へ行きます。
これからも「四柱推命」を活用しながら、皆さんの幸せのお役に立ちたいと思っています。
次回以降も、キンおじさんのブログ、よろしくね~~。