日本でいちばん古い家、というのがあって、旧国名で言えば摂津ではありますが、現代の三木市にほどちかい神戸市北区の山田町にある
「箱木千年家」
です。
場所は、新神戸トンネルの北側出口から車で十数分といったところですが、なんと室町期から建っているという
日本で一番古い家(国指定重要文化財)
なのですよ、この箱木家は!!
さて、このおうち。大同元年という「棟上の記録」が残っているため平安時代からあるという
千年家
と呼ばれていますが、現在の建物に残る6本の柱は、移築解体の際に
室町時代からのもの
だと推定されています。
↑中から外を見ると、頭がぶつかりそうなくらい深い軒。
↑戦国期大河ドラマに出てきそうな、板の間づくり。注目は、床板です。
まだ、「かんな」が発明されていないので、床板は槍鉋(やりがんな)で削られており、完全に平面にはなっていません。
荒い板を、槍の曲がったような道具でちょこちょこ削って大きな平面を作っていったのです。
↑官兵衛ちゃんの時代の息吹を伝える、「柱」。角が大きく面取りしてあるのが特徴で、古い時代ほどこの面取り巾が大きいそうです。
(これもチョウナで”はつって”いったものと思われる)
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さて、そんな箱木家住宅ですが、いまでも管理は子孫の「箱木一族」が担当しておられます。
古いよろいなども展示されていて、箱木一族の「戦国武将」→「帰農して豪農」→「旧家として今へ至る」歴史がよくわかるというものです。
というわけで、ここからは箱木氏と官兵衛ちゃんの同時代体感話をいくつかお届けしましょう。
展示してある系図には、なかなか興味深いことが書いてあります。
箱木一族は、もともとからこの摂津国山田庄に根付いた一族だったようですが、この建物がバリバリの現役だったころ、
そう、つまり官兵衛ちゃんの時代
には、箱木氏は、あの別所氏に従っていました。(摂津国とはいえ、三木城はけっこう近い)
(系図を加工して読みやすくしています)
『属 三木城別所氏 天正五年四月一日~』 からはじまって、『同年羽柴筑前守秀吉 播国府御着城小寺加賀守ヲ攻むる時~』
出ましたね~。
ここらへんで赤鼻のトナカイとあぶない刑事が脳裏に浮かんでくるというものです!!
右半分には、箱木与一左衛門が、別所長治に従っており、戦死した話が書いてあります。
いっぽう左半分は、さらに興味深いです。
『箱木與一郎 藤徳 母は別所大和守村重の女(むすめ) 藤徳は人質となる為三木城内に入り~』
『別所長治君自殺し後、秀吉の命に依り 三木篭城の諸士退散』
して、衝原館にやってきたというわけ。
(箱木千年家は山田町衝原にあります)
まさしく、大河ドラマでみた、あのシーンの一部ですね。
箱木氏は、三木城で官兵衛軍と相対していたのでしょう。
その頃から建っている住宅を現代でも見られる、というのは凄いことだと思います。
この地域は、秀吉が直轄した有馬温泉や、当時有馬氏が支配した淡河地域などとも隣接しており、戦国の息吹がそこかしこに眠っています。
神戸近辺の方はぜひ、一度遊びに来てくださいね。