癌のターミナルケア2(命が輝く時)

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コラム
現実的なことが書いてあるので、受け入れられない人は読まないで下さいね。










2009年にたまたま婦人科検診に行き、そこで異常が見つかった。
しばらく経過観察していたが、腫瘍マーカー(血液中に含まれる腫瘍が出す特殊なたんぱく質などの数値測定)が安定しないので、大きな病院できちんと検査してもらいなさいと大学病院に転院した。
その頃から、チャットをやり始めて色んな人と知りあうことが出来た。彼女もその1人だ。 

良性腫瘍だと思うと言われて転院したが、時々がんなのかなぁ?と頭をかすめる事がある。その頃、がんについては全く無知だったので、チャットで色んな人の経験を聞いてみようと思い参加してみた。

※悪性腫瘍の場合はがんの診断になる。

お腹を手術した場合の下着など、入院時に持参した方が良い物など色々教えてもらえたので、初めて入院手術を経験する私にとっては、とても心強い人達であった。

2010年に、手術をし病理検査の結果も良性腫瘍と言われ退院してきた。
彼女も1週間後に肺転移の手術を終えて、退院してきてチャットルームで再会した。
彼女にとっては二度目の手術だったが、彼女も術後なのに、初めての手術だった私の体の事を労わってくれていた事が端々に伺えた。とても嬉しかったのを覚えている。

私の腫瘍がわかってしばらく経過観察していた頃から、チャットをしていたが、チャットと言う会話形式でありながらも、彼女は機転の利く頭の良い人だと言うことはすぐに理解でき、いつのまにか仲良しになっていた。

病気のこと家庭のことなど、色々悩みを話したり聞いたり雑談したりと、日々の会話を楽しんだが、ある日彼女は抗がん剤治療をしてくれる病院を探さないと・・・と言い始めた。
手術した病院でやってくれないの?と聞き返すと、「我々にできるのは、ここまでです」と医師に言われたと言い、他の病院を探していると言っていた。
不思議に思い色々調べてみて、私は悟った・・・

賢い彼女も悟ったようだった。
次にチャットで会った時は、ホスピスを探していると言ってた。
現実を受け入れ、毅然と次に進むべき道を模索している彼女に対して涙が出た・・・
かける言葉もなくただただ焦燥感を持ちながら「私に何ができるのだろう?」と頭で思いながら、ホスピスをネットで検索していた。
やがて、彼女はホスピスを決め、入院するための手順としての通院をし始めた。

使ってたチャットが廃止となり、お互いにメアド交換してたが、しばらく連絡が途絶えた。ホスピスに入院できるように通院しているところまでは、彼女から聞いていて知っていたが、かける言葉が何も浮かばなかったからだ。

時々どうしてるのかなぁ?と思いながらも、何て切り出せば良いのか?言葉が思いつかない・・・・・
一人悶々としながら時が過ぎていったが、ある時、ふと思いついた言葉でメールを送って見た。

”やっと、言える言葉が見つかりましたのでご連絡いたします。
「私はあなた(彼女)の事を忘れてないからね」” と。

直ぐに返事が来て、状態が悪化し、モルヒネを使っていること、通院していたホスピス入院を断念した事を知った。
その頃丁度、家のリフォームをしていて、ホスピスの話をしたら、業者さんのお父さんがホスピスで最期を迎えた話をしてくれた。
その話を聞いて、彼女がホスピスを断念した理由を理解した。

次にメッセージが来た時は、手術した病院のホスピスが受け入れてくれたので、そこに入院したとの連絡だった。
すぐに見舞いに行くとメールをした。私にはずっと後悔していたことがあったからだ。

”以前、チャットでホスピス探しのお礼を電話で言いたいと言われ、メールでいいよ。って断ってしまった事、凄く後悔しています。ごめんね。
その時から、最期までずーっと見守っていこうと思ってました。

今度は私が、彼女の願いを叶えに行きます。
ずっと手を握っていてあげたいです。
具合悪かったら、寝ててもいいからね。
私が来たのが分かるように、メモ残しておくから。”と返事をした。    私はホスピスの制度を、理解していたので、心に迷いはなかった。

そう、私はあの時、現実から逃げてしまった。
電話でお礼を言いたいと言ってくれた彼女の気持ちから。そう言われた時に何と返事をして良いのか困惑して、私は現実から逃げてしまったからだ・・・

彼女とはリアルで会うのは初めてだったが、チャットで話していたので、旧知の間柄のようにすぐに打ち解けた。
面会に行った事をとても喜んでくれていて、はしゃいでいたからなのか?とても元気に見えた。
食べられない状態なのかな?と思いながら買って行った、シュークリームもコーヒーも二人で話しながら、あっという間に平らげてしまった。
お互いに相手に対する思いやりや遠慮で、ずっと連絡取れなかった期間の話を延々として、お互いに同じ思いでいた事を笑いながら話した。   

そして、逃げようのない現実だから、自分できちんと受け止めてるから気にしなくて良かったんだよ。と彼女は私に告げた。彼女はとても芯の強い人だった。

そうやって話しをしている間にも、時々痛みがあるらしく看護師を呼び、自動点滴以外のモルヒネを打ってもらっていたが、寝ないで元気に明るく話していた。
眠くないの?と聞くと、「睡眠障害が出ていて、時間がバラバラで寝ちゃってるから平気なの~」って言ったので安心した。

季節は初夏だったが、凄く暑がりらしく、汗をかいていたので、個室の窓を開けに行くと、それは三角開閉式の押し開け窓で、あまり開口部が開かない窓だった。「窓あんまり開かないから風通らないね。」と言ったら、彼女は淡々と「ここホスピスでしょ?だから自殺しちゃう人もいるから、窓はあまり開かないんだよ」と教えてくれた。

ハッとさせられた。当たり前のことが当たり前ではない世界だ。     そそして彼女は、続けてこう言った。「ここはそう言う病院なんだからさ」と。

一呼吸置いて彼女は「私ね。色んな人と会って色んな人と話して、楽しく生きられるだけ生きていたいと思ってるの。もっと早く知り合ってれば良かった。本当に来てくれてありがとう。ホスピスに入院したって言うと、誰も来なくなっちゃうのよ。忘れられるのが一番悲しいもん。」と明るく私に言ってくれた。そして私に気遣い、来るのにすごく勇気が必要だったでしょ?と言ってくれた。

私は素直に「うん」と答えた。「でも、行くって決めたから連絡したんだよ」と言ったら「来てくれて本当に嬉しかったんだ。一度会って見たいとずっと思ってたからさ」と言ってくれた。

容態を気遣い夕方帰ろうとすると「良かったら、もっと居て」と言われたので「じゃぁ、夕飯も一緒に食べちゃおうか!」と言い、食べたい物を買ってくるから教えてと言いコンビニでお弁当を買ってきて一緒に食べた。
すでに、骨盤転移していて入院前からずっと、車椅子の生活をしていて歩けない体だった。

食べたい物を聞いて買ってきたら、美味しそうにパクパク食べていた。
「病院食ってまずいのよねー」と言うので、コンビニ弁当のおかずも食べて良いよと言うと、「病院のおかずも食べて良いよ」と笑いながら、お互いに交換して食べ、とても楽しい時間を一緒に過ごし私は病院を後にした。

ニコニコと笑顔を絶やさず、元気な声で笑って話をしていた、彼女の命が輝いていた事を私は感じた。
私は、人がしがらみを解き放った時に、素の自分になり素の感情を持ち、自然な姿でいられる時に、輝く物だと常々思っていたので、彼女の表情にもそれが見えた。

その姿や表情は、人は自分のために生きる事の素晴らしさを、命をかけて知らしめていくのだろうと思う。
その命の輝きを、全ての人に感じ取って欲しいと、私は切に思う。
自然体で生きる事の素晴らしさを!                   そして命の輝きを!

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