言えば言うほどウソ
あるとき、弁護士事務所にお願いをした人の話を聞きました。「親切、ていねい」という看板を出しているので、頼んでみたところ、親切でもていねいでもなかったとのことです。これはもしかしたら、親切でもていねいでもないから「親切、ていねい」という看板を出しているのではないか。「親切、ていねい」という看板そのものが、その弁護士事務所が親切でもていねいでもない証拠ではないだろうか。とそのように思ったのです。以下のような例が適切かどうかはわからないのですが、約1年前、東京オリンピックのころ、ずいぶん「安心、安全」という言葉を聞いた気がします。あれも、安心でも安全でもなかった証拠であったようにも思えるわけです。安心でも安全でもない「にもかかわらず」ではなく、安心でも安全でもない「からこそ」安心、安全と言っていたのではなかろうか。東日本大震災の当日、当時の首相が「原発は大丈夫です」と言ったことを私は忘れていません。
聖書の言葉から出します。新約聖書テモテへの手紙一の5章1節以下で、「年長の男性を叱ってはなりません。むしろ、父親と思って諭しなさい。若い男性は兄弟と思い、年長の女性は母親と思い、若い女性には常に純潔な思いで姉妹と思って諭しなさい」と書いてあります。この手紙の著者は若い女性を常に純潔な思いで見ていなかったことが暗黙のうちに明らかになっています。そうではありませんか?
最近、ある有名なプロのオーケストラ奏者が言っていました。「ベートーヴェンの交響曲第1番は決して易しい作品ではありません」。私はひそかにベートーヴェンの1番は易しいだろうと(やったことがないのでわかりませんが)思ってきました。し
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