自分の幸せを願うのは、欲深いことでしょうか?
「自分のために祈願をお願いするのは、欲深いでしょうか?」このように思われる方も、いらっしゃるかもしれません。金運を良くしたい。仕事で成功したい。良いご縁に恵まれたい。家族と幸せに暮らしたい。健康で長く生きたい。こうした願いを持った時、「仏様にこんなお願いをしてもいいのだろうか」と遠慮される方がおられます。確かに仏教では、欲望に執着することを戒めます。しかし、「願いを持つこと」と、「欲望に執着すること」は、同じではないと私は考えています。たとえば、「もっとお金が欲しい」という願い一つをとっても、その理由は人によって違います。家族を安心させたい。子どものためにお金を残したい。借金を返して生活を立て直したい。商売を発展させ、従業員を守りたい。自分に余裕ができたら、困っている人を助けたい。そこには単なる欲ではなく、「大切なものを守りたい」という思いがある場合もあります。私は、自分自身が幸せになることを願ってよいと思っています。なぜなら、自分の心に余裕がなければ、なかなか人にも優しくできないからです。自分が笑顔になれば、家族にも笑顔が広がる。生活が安定すれば、誰かを助ける余裕が生まれる。仕事がうまくいけば、周りの人にも良い影響を与えることができる。自分の幸せと、人の幸せは、必ずしも別々のものではありません。ただし、大切なのは、「自分だけが良ければいい」という願いにしないことです。仏教には、「自利利他(じりりた)」という大切な考え方があります。自分自身を良くしていくことと、他の人のためになること。その二つは離れたものではありません。自分が幸せになり、その幸せを周りの人にも分けていく。私は、
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