辛くても自己責任

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コラム
私は秋田の山の中の寺の次男として生まれ、18歳で大学進学の為に東京へ出てきました。
全国から人が来ていて、考え方も大きく違っていて、それはそれはカルチャーショックでした。
自由な大学生活の中で適当な日々を過ごしていたので、一般的には大学卒業と共に、本山に行って修業をするのですが、バカな私は留年してしまい、また、修業が嫌なのでフリーター生活をしていた事で人より3年遅く横浜の鶴見にある本山の総持寺に行きました。
その後、黙って寺に入って働けばいいものを、当時カナダに住んでいた友人を頼って連絡もせずに一人でスキーを担いでブラブラと遊び惚けた後に、ご縁があって札幌のお寺で働くことになりました。25年間今現在も札幌の信者さんのお参りの為行ったり来たり。
現在東京では、TVコマーシャル等で有名なお坊さん派遣会社からお仕事をいただいております。
今までの札幌での生活、そして東京での生活、何でこんなにも濃いんだろうと思うほどいろんなことが日々毎日不思議な事に起きています。
こちら(ココナラ)での活動や、他での活動も、家族親族含め、お仕事でお世話になっています各方面の方々などから、賛否両論(特に否)の声が多いのも事実で、これを見ていただいている方の中にも、何で坊さんがこんな所で(失礼)活動しているんだ、そう思われている方もいらっしゃると思います。
しかし、一般の方であればこの不景気に国が進めていることもあり副業をされている方は多いと思います。
私も表向きには、悩みを持っている方々を少しでも楽にできたら良いなと思うのと、本音はやっぱり生きていく上ではお金は絶対に必要です。
会社で働いていて、家族がいる方であれば、時として上司や取引先から黒い物を白だと言われれば、ご無理ごもっともで従う方もいらっしゃるでしょう。特に坊さんの社会はそんなもので朝令暮改は当たり前なんです。
でも、家族を思うと自分の我儘だけでは生きていけません。
そう思いながらも、私は離婚によってタガが外れ、東京で呪縛から逃れ自由に生きようとしましたが、これはこれで違う辛いことが、わんさかと待っていたわけです。
要は一長一短、良いことがあれば悪いこともある。呪縛などと人のせいにしない、隣の芝生じゃないけれど、見る所を間違えて他人のせいにしていると死ぬまで一緒だということなんだなと、還暦になって初めて知りました。私は何をやらせても一般的な人より10年以上は遅いんですよ。
自己責任という言葉の意味を、家族も含め他人に教えてもらい、ようやく腑に落ちました。
なので誰からなんと言われても、こういう活動は一生、ぼちぼちとやっていきますので、こんなあまり頼りになりそうもない坊さんですがお付き合いください。宜しくお願い致します。
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