不便と不幸を間違えてはいけない
少し前の話になりますが、この夏テレビでは毎年恒例のチャリティ番組が放送されていました。今年この番組を見ていてふと思ったことが今日のタイトルです。長きにわたって生まれながらの病気や事故などによって体が不自由になった人達のことを「かわいそう」「不幸」という位置づけがなされていたように思います。しかし、生まれながら体に不自由があったり、病気や事故で体が動かなくなった人から「私は不幸」というような言葉をあまり聞きません。確かに体が不自由だと不便なことが多いでしょう。でも思い通りに体が動かないのは不幸でしょうか?「不便」だけど「不幸」ではないかもしれないと思うのです。他にも「私はお金がないから不幸」「私は彼がいないから、結婚できないから不幸」「上司が悪いから不幸」いろいろな不幸が占いに持ち込まれます。しかしこれらは不幸ではなく不便なのかもしれません。お金がなければ雨が降ってもタクシーに乗るのを我慢します。不便です。彼がいないと切れた電球を替えてくれません。不便です。上司が悪いと出世が遅くなるかもしれません。不便です。でもそれをすぐに不幸にする必要はないのです。雨を楽しもうと思うことができ、電球を自分で替えるのは時間がかかるけど不幸でも不便でもないと思うのです。上司が悪いとそれだけ鍛えられると思えます。あなたの感じている不幸は、本当に不幸でしょうか?どんな状況であっても幸せを感じて生きていくことはできます。その人が今どこにいて、どんな仕事をして、一人でも家族でも、すべてにおいて不便であっても幸せは感じることができるのです。向かい風は歩きにくくて不便ですが、空を飛ぶ時は向かい風に向かって飛ん
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