喜怒哀楽日記
【真実告知、その後】
誕生後、姿を消した生母に代わって、私に母乳を飲ませてくれたのは、実父の姉だったようだ。当時相撲の行司をやっていた実父が巡業などで家にいないため、姉に預けられたそうだ。
父が私に会いに来てくれた時、私は、板の間に、敷物も敷かず、寝かされていた。栄養不足もあったのだろう、赤子の私の頭は、できものだらけだったそう。実は、その赤子の時の栄養不足が、脆弱な骨格となり、75歳の今にまで影響をもたらすことになったのだったが。
「あの時のお前は、不憫だったよな。粗末な扱いを受けていて、可哀相だった」と、静かに語る父は、泣いていた。
その父の涙が、関係を絶たれたように絶望感に襲われていた私に、かすかな光となっていたのだと思う。
真実告知を受けてから一晩がたった翌日からも、不思議と、遠慮とかわだかまりというものは生まれなかったのだ。
やはり、父は父だった。私にとっては、唯一無二の父だった。
父のほうも、私への愛情は、依然と全く変わらずにいてくれていたようだった。
会話も、ギクシャクするようなことは全くなかった。
告知の瞬間の言いしれぬ断絶感と絶望感にもかかわらず、良好な父と子の関係は維持されていたのだった。
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