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いいことをしても否定される気がする

今日スーパーでコンソメ売り場・乾物売り場に、「胸肉」が置いてあった。だれかが返さずにいらないので、置いたもの。腐っちゃう 腐って売り物にならなくなる 売り場が不衛生と思った私はレジで店員さんに伝えた。ひどく感謝された。マスクとレジの周りのガードがあるので、店員さんになかなか声が届かなかったのと、店員さんが別の店員さんにそのことを伝えるのにほんの少し時間がかかった。私のレジの後ろには誰かがならんでる気配がした。その人に責められている気がした。そんな余計なことをするから、レジ待たなきゃいけないんだよ。何しても責められる。いいことしてるのに。いや、その他人はなにも言ってないよ。気にしてないかもしれないし、なにが起こったのかもわかってないかもしれない。またはすごいなあって私のこと思っているかもしれない。だけど私には列を待たせた罪を感じるのだ。せっかちに待つうしろのひと。そのイメージしかない。人を待たせちゃいけない。人は待ってくれない。焦ってる。これは父の影響だろうか私の風呂の着替えさえも待ってくれずに何度も何度も外から声をかけて「まだ?まだ?」と聞いた父。前の車を「たるい」と常にあおっていた父。別に急ぐ理由なんて父にはひとつもない。そのあと、テレビ見て寝てるだけ。そんなあおりと焦りを日常茶飯事にしてきた私は他人もそれくらい焦っていて、それは私にも適用されて、つまり私もあおられている。理由も気持ちも関係なく待ってはくれない。ただあおられ嫌な気分をする。そんな他人の姿しか見えない。ゆっくりしていいんだよ。焦らなくても怒らないんだよ。怖かったね 小さいわたし 他人はみんな同じじゃない私も焦り
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