悲しくなった私が、責めなかった理由
今日、家族が4歳の息子に強い口調で怒っているのを見て、胸の奥がきゅっと苦しくなりました。「そんな言い方しなくてもいいのに」「まだ4歳なのに」そう思う気持ちは、確かにありました。でも不思議と、その感情のまま何かを言おうとはしませんでした。代わりに、息子に「どうしたかった?」と聞きました。息子は、自分なりの気持ちをぽつぽつ話してくれて、私はただそれを聞いていました。夫には、その場で何かを責めるようなことは言わず、あとからAIに聞いた対応のヒントを「こんなの見つけたよ」と伝えました。いつもとは違う反応いつもだったら、子どもの前で「やめてよ」と言っていたと思います。でも今日は違いました。それは、我慢したからでも、感情がなかったからでもありません。ちゃんと悲しかったし、胸が痛くなる感じもありました。ただ、その感情に引っ張られずにいられたんです。感情と行動の間に、ひと呼吸魂の声を聴くようになってから、不思議と、自分を少し離れた場所から見られるようになりました。感情が湧いてくることと、その感情で動くことが、同じではなくなった感じです。怒りや悲しさが生まれても、「いま何が起きているんだろう」とひと呼吸おいて見られるようになった。だから、誰かを正すよりも、この場をどう整えたいかを考えられたのかもしれません。光に気づいた瞬間しばらくして、窓から入る光がぽかぽかと暖かいことに気づきました。それだけで、少しだけ呼吸が深くなって、心が緩んだ気がしました。世界を見るフィルター人は、生まれるときも、死ぬときも、ひとり。でも生きている間は、いつも誰かや何かの影響を受けながら存在しています。同じ出来事でも、どん
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