「かわいそう」と思ったら、それは優しさではないかもしれない
最近、瞑想を続けていて気づくことが増えてきました。それは、自分の感情や思考に対する気づきです。何か出来事が起きたときに、「今、自分はこう思ったな」「今の反応はどこから来ているんだろう?」そんなふうに、自分の内側を観察できる瞬間が増えてきました。ある動画をきっかけに、特に強く気づいたことがあります。それは、自分がどれだけ人を見下していたかということです。最初に気づいたのは亡くなった父のことでした。私はこれまで父を見て、どこかで「かわいそうだな」と思っていました。でもあるとき、ふと思ったのです。「かわいそうって、これ見下しているのでは?」かわいそうと思うとき、心のどこかに「自分はそうじゃない」「自分の方がまだマシ」そんな立場が含まれていることがあります。それに気づいてから、日常の中で同じ感覚がいくつも見えてきました。・誰かを見て太っているなと思う・テレビで新入社員の特集を見て「最初はみんなそうだよね」と思う・誰かの失敗を見て「自分はああはならない」と思うこういう感情は、表面だけ見ると普通に見えます。でもよく観察すると、そこには自分の方が上だという意識が含まれていることがあります。そしてこの感覚は、もしかすると親との関係から来ているのかもしれない。そんなことも少しずつ見えてきました。もちろん、人は誰でもこういう感情を持っています。問題なのは、持つことではありません。本当に大切なのは、「今、自分はこう思ったな」と気づけるかどうかです。感情は、気づいた瞬間から少しずつ変わり始めます。気づかないままだと、その感情に振り回され続けます。でも気づけると、そこに距離が生まれます。瞑想を続けている
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