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「家紋は必要なの?(^^;」

「カモ~ン?」って。ちょっと言いたかっただけじゃ。でも「家紋」って、日本人なら誰もが「所有している?」紋章だよね~?!「え?家紋持ってない?!」・・・「う~ん。そうねぇ~。それは・・・アナタは外国人なのかなぁ~?それとも(キリスト教)等の外国宗教なのかしらん??」・・・まあ、別に「家紋」はあっても無くても困らんけどね。ただね~「葬式」とか「墓」には、「必要?」かも知れんね。最近は「外国人」も多くなってきたので、「家紋ナシ?」でもOKかもね。^^最近の「お墓」には「家紋」よりも「言葉」の方が「流行」みたいかな?「ありがとう」、「天国で一緒」とか「しあわせだった」とか~「愛してる」とかね~イイじゃん。まあ、昔ながらの「三段墓」とかは「頭・胴体・足」等を表しているというし。それに昔は「家を継ぐ」というのが「一般的」じゃったよね。そう男がね~「家」を継ぐのじゃ。もし「男」がいなければ「養子」でもとって「家や家紋」を継ぐのが一般的じゃったかもね。でも、最近ではね~「少子化」じゃし、「核家族化」で、そもそも「人数」が足りないもん。昔は「人」がいっぱいおったのじゃから、「家制度?」も成立していたけどね。それで「本家」という「中心」が存在して「分家」が「枝分かれ?」していったのじゃろ~て。そうそう、それで「本家」から「分家」に小分け?されたのを「家紋」にわかるように「〇=マル」を付けたのじゃ。だから「家紋」に「マル」がついていれば「分家」?ということじゃね。確かそうじゃけど、まちがっていたら、ゴミンね。ちなみにボクの家の家紋は「〇=マル」に「木瓜=キウリ」じゃ。「モッコウ」とも呼ばれるけどね。
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「中国・大陸流行歌曲2022~♪(11)」

ちょい前に中国の「流行歌2024~♪」をリリースしたばかりじゃけど、も~、第二弾じゃ。ど?イヤでしょ~か?!ボクは、何かねぇ~、ちょっぴり「ハマッ」たみたいじゃ。もちろん「歌」というか「楽曲」がイイのが一番じゃ。でも・・・あれ?・・・結構、中国って「美人」が多いじゃん!ボクの印象では、「あまり中国には美人がイナイ・・・」って、本気で思っていたのじゃ。でも待てよ~。^^「楊貴妃」って、中国人じゃん。「世界3大美女」の一人じゃん。「クレオパトラ」に~「小野小町」でしょ~♪あれ?何で「日本人」がいるのん?ホントに「小野小町」って、美人だったのかしらん??でも「世界3大美人」って、ねぇ~、ダレが決めたの?でも、楊貴妃にクレオパトラなら、なんとなく理解できるけど~、そうね~、「小野小町」って、平安時代では「理想形のお顔?」だったかもしれんけど~、ボクの予想では「竹取物語」の「かぐや姫」にな~んか似てる?感じするけど。どうじゃろ?あの時代の日本の「屏風絵」って、一律に「丸い感じのお多福顔?」が「美人?」って言われている気がするんじゃけど~、まあねぇ~、実際は、おそらく「超美人」じゃったのかも知れんね。^^ちょい昔でいえば「歌手の岡田奈々」という感じかしらん?!彼女だったら、そりゃ~「美人」じゃったと思うぜよ。ホホホ(^^;;あの髪型で、いかにも「お嬢様?」じゃ。彼女が小野小町とおっしゃるのなら、ボクは「合意」するぜよ。ま、とにかく今回は「中国美人特集?」じゃね。だけど、今回のビデオというか「カラオケビデオ」は、美人ぞろいじゃね~♪というか、ボクが美人ばっかりを「チョイス」したのじゃ。役得じ
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王朝時代のトップブロガー

清少納言が現代に生きていれば、間違いなくブログをやり、人気ブロガーになり、本も刊行してベストセラーを連発するエッセイストになっているでしょう。日常のちょっとした面白いシーンをTik Tokに上げたり、綺麗なお気に入りのお召し物の写真をインスタグラムにアップしたり、と現代の文明の利器をフル活用していると思います。残念ながら、約千年前の時代にはそんなものはなく、紙と筆というツールに頼るしかなかったのです。 「君俟つと 我が恋をれば わがやどの すだれ動かし 秋風の吹く」、万葉集、額田王。あなたを待って私が恋しく思っておりますと我が家の戸のすだれを動かして秋風が吹いてきます、と口語訳はこんな感じで、「何だ、愛しいあの人かと思ったら、ただの風か」という額田王の落胆が千年以上の時を超えて伝わってきます。額田王は言うまでもなく女性ですから、現代に置き換えると次のようになるでしょう。「LINEが来たので大好きな〇〇君からかと思って急いで見てみると、何だ、ブー太郎からか、とがっかりして読みもしない。」高貴な額田王になぞらえるのも不適切で、どうかと思いますが、人間などいつの時代も同じだと私は思います。 古典、古文というと異次元・異世界のことのように感じがちです。もちろん、生活の便利さなどはまるで違います。でも、そこで生活しているのは私たちと同じ生身の人間なのです。古典は文語で書かれていますから、余計に違和感をもつと思いますが、結局のところ人間はいつの時代も同じなのだということを学ぶのも古典学習の意義だと思うのです。 清少納言のことを、同時代の才女である紫式部がライバル視していたと習ったことがあり
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「金鳥の夏」真っ盛り~♪(^^;あちぃ~

「そろそろ、キンチョ~の夏じゃね?!」「夏祭りに、花火大会、そして金鳥じゃ!」「そう、美空ひばりや小柳ルミ子なんかがCMしてた金鳥の蚊取り線香じゃね~♪ふる~ぅ」(^^;お~、ノスタルジィ~♪「夏は、蚊帳(かや)に蚊取り線香は定番じゃった!」「え?蚊帳(かや)って何かって?」「昔の日本は今のようなクーラーとか網戸とか無いので~、蚊帳と呼ばれる(武器?)が必要じゃった。」蚊に刺されてカイ~;;「でも、蚊帳って風情あっていいのじゃ!部屋の四隅に(引っ掛け釘?)みたいなのをとりつけて、まるで(スケルトンテント)じゃね~♪^^」スッケスケ~♪^^;もう、まるで「おとぎ話」みたいな空間が当時、いや平安時代?くらいからあったそ~じゃ。ほお~^^;知らんかった~なんでも「クレオパトラ」も愛用とのこと。そういえば、よく映画で見かけた「お姫様ベッド?」ってクレオパトラのイメージあるけど、確かにあれは「蚊帳」かも?!だけどね~、たま~に「足」が蚊帳から出ると~、「蚊部隊」に「総攻撃」され「かゆ~~いでごわすっ!」という結果となる・・・注意せよ!^^;かいぃ~ボクの「昭和」のこどもの頃って、みんな「貧乏?」で「長屋住まい?」で「楽天?」だったね。^^ほとんどが、「賃貸生活者?」なので~、も~毎日が「気楽?」じゃね。^^だって「安い家賃」さえ払えば、も~そこは「天国」じゃ。^^今のような「ちっちゃいお家に大きなロ~ン?」なんて無かったので、「今を生き抜けば、あとは知らん」だったかも。映画「三丁目の夕日」のような空気感?かな~?!(西岸良平イイネ~♪^^)だけど~、やっぱGHQ(アメリカ政府)の策略?で
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仕事着のこと

もうすぐ、ひな祭り、やってきますね。ひな祭りは、殿上人を見たことがない人が、宮中を学ぶのによい教材だったんだとか。京都には、超老舗のひな人形を作る店があって、その店だけは実際の皇居を逐一再現した人形をつくるって聞いたことがある。その人形店もいまでは購入する人が減って、もう経営継続がむずかしいんじゃないかって言ってたのを人から聞いたことがあるんだよ。 雛人形の着る平安衣装も、もしもひな祭りがなかったら、とくに平成・令和っ子には、異国の民族衣装に見えるんじゃないだろうか。一度、技術や文化が消えてしまえば、取り戻すのは非常に難しい。 法人税なんかをゆるくして海外の株主をうるおわせるまえに、日本の国の政府が自分たちのルーツや文化を深く理解して、こうした文化の枝葉に当たるものを無形の遺産として保護したほうが良いと思うんだけどねぇ。そんな馴染みの薄い、民族衣装について、2月の引っ越しの前に、面白いことがもう一つあったんだよね。シェアしちゃう。w 今年に入ってから、東京の、というとあんまり乗り気がしないイベントも、京都や大阪のスピリチュアル・占いイベントは、どんな世界なのか、一度ちょっと出てみたいなぁ〜とか思ってたんだよね。 意外にも気の合うひとがいるかもしれないし、そもそも西の精神世界志向の人はどんなひとたちが多いのだろう?という純粋な興味があった。かといって、マーケティング・リサーチのためだけに就職して、占いの館ご出演〜♪となると、それはいかにも仰々しい。wプレッシャーがある。 だいたい、エンタメ系占いで求められるような、お客様へのリップサービスは、不器用な私にはとてもできないだろう。 
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「茨城県各地に伝承する民話 第2回」(5作品を紹介)

        「弘法大師」(茨城県城里町での言い伝え) むかし、むかし、一人のお坊さんが、仏教を広めるため、各地を歩いていました。そして、常陸国にもきました。あるとき、徳倉(とくら。現在の茨城県城里町)を歩き日が暮れ、ある農家に「泊めて下さい」とお願いし、泊めてもらいました。農家の主人は「どうぞ」とお坊さんを迎えました。 この家には一人の娘がいて、お坊さんに好意を持ちました。それを知ったお坊さんは、その後、自分の姿を彫って、馬槽(うまぶね)の中に収めて立ち去りました。娘さんはその像を、お坊さんと思い大切にし、徳藏姫(とくらひめ)といわれるようになりました。 このお坊さんは、笠間の古山を通りました。とてものどがかわいて、農家のお婆さんに「水をいっぱい下さい」とお願いしました。お婆さんは、なかなか戻ってきませんでした。 「この辺にはいい水がないので、遠くまで行って、いい水を汲んできました。どうぞ」とすすめました。 お坊さんは、その気持ちがうれしく、御礼をいいました。そして、錫杖(しゃくじょう)で土手ぎわを突くと清水がこんこんと湧き出ました。そして、どんな日照りにも水のかれることはありませんでした。ところで、このお坊さんは弘法大師という真言宗を開いた偉いお坊さんでした。       「竪破山の太刀割石」(茨城県日立市での伝承) 十王町(現在の茨城県日立市)にある竪破山(たつわれさん)に、平安時代のはじめ、戦のために北に向かう途中で、坂上田村麻呂が泊まりました。夢の中に神さまがあらわれ、「お堂を建てて、戦勝を祈りなさい」といわれました。田村麻呂はお堂を建て、北へ旅立ち、戦に勝ちました
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かき氷考

こんにちは皆様。暑い日が続いて家に居ても暑い、きっと氷でも食べないと、やって居られないと感じている。氷は冷たいのであまり食べないが、洗濯の為にベランダに出ると、氷もいいもんだなと思う。かき氷なんて子供の頃は食べなかった、アイスの方が美味しくてお手頃、かき氷は何処かに行かないと食べられない。今は良い時代になったなー、私の子供の頃はアイスや氷は売っていたので、それでもいい方か。もっと昔、平安時代は氷は氷室に入れておいた物を夏に出してきて、大事に食べていた。だからこそ貴族しか食べられなかった、今はお金を出せばだれでも口にできる、まあ、お金が無いと口にはできませんけどね。枕草子で削り氷にあまずらを入れて、新しき金椀に居れたるものが、あてなるもの(上品なもの)となっているけど、簡単には口にできない氷に甘い蜜を掛けたのは今よりも気温が低かったと思われる時代でも、きれいで上品な食べ物だったのだな。その頃の氷ってどれだけの人の手が掛かっていたんだろう?冬の間に池で冷気によって凍らせたものを、氷室という穴に運び込んで保管、解けないように氷や藁で置いておいて、夏になるとそれを出してきて削って口にする。ほんのちょっとしか食べられない贅沢なのだ、うーん庶民は想像もできないものだよね。でも庶民は軽い服にしてもいいだろうけど、貴族はきっと暑くて生絹なんて言うスケスケの服になっても何枚かは着る必要があっただろうから、氷が無いと暑かったんだろうと思う。日本はこのところ暑くなっていると言われているが、エアコンで室温は何とかできる。電気使用量は大変だとは言え、人の健康にお金は変えられない、大体省エネの家電が増えた
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平安時代と令和時代の情報量

現代(2022年時点)での 私たちが得る一日に情報の量は なんと、 平安時代の人たちの一生分。 江戸時代の人たちなら一年分と言われております。 情報社会ですね。 直近の2年でデータの90%は生まれるそうです。 私は、服飾業界に居たので分かりますが、 流行りのデザイン、 色も決められて選んでいると聞いたことがあります。 アパレルは工場と契約しているので 毎年、毎年、稼働させないとなりません。 その結果、デザインを変えたり、 これまで流行っていたと言われる 色をダサいことにしたりと 人工的に流行を作っていたのでしょう。 ダサいと感じることは、実は一種の洗脳されているのでしょうか。なので、 多少、流行おくれで良いのかもしれません。笑 在宅ワーカーとなった私の仕事着は今では作業服です。笑情報を得るということは大切ですが、 流されすぎず情報の取捨選択ができると良いなと思います。
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1月15日(土)は『小豆粥』を食べる日。

こんばんわ。いや〜。毎日、寒いですねぇ〜。さて!と1月7日の『七草粥』の次は『小豆粥』のお知らせです。旧暦1月15日を『小正月』と呼び、1月7日までを『大正月』と呼びます。日本には古来から1月15日の朝に『小豆粥』を食べる風習があります。平安文学の清少納言によって書かれた『枕草子』や紀貫之が女性目線で書いた『土佐日記』の中にも小正月に『小豆粥』を食べたことが記されています。また江戸時代に成人の男子が親から巣立つ儀式として行われた『元服の儀』が行われたのが1月15日であったことから『小正月』が『成人の日』となり、今日も江戸時代からの『元服の儀』は現代へと受け継がれています。小正月は『望の日』(もちのひ)とも呼ばれるので小豆粥には餅が入ります。【小豆粥のレシピ:4人分】材料:小豆カップ1、白米カップ1/2、お餅1個、鏡餅4切、塩少々1.小豆を洗い、前の晩から浸水しておく2.小豆を煮る3.冷やご飯を水でドロドロになるまで煮る4.小豆が煮えたら更にご飯に入れて一緒に煮る5.塩で調味する6.お正月の鏡餅があれば煮上がる前に小さく切って入れる(焼いても良い)7.餅が柔らかくなったら完成小豆粥で邪気を祓い1年の無病息災を願ってみてはいかがでしょうか!?
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土に触れる歓び

土に触れるお仕事(平安時代の遺跡発掘)も最終日☆名残惜しい感覚と共に最後を味わいました。土に含まれる天然の菌のお蔭なのかのびのびと心を解放して働けます!!畑(無農薬)に飛び込んでしばらく過ごしていただけで体がめっちゃ健康になったという事を聞いたことがありますが、本当だと感じます。だって、働いた後は疲れるどころかパワーがみなぎっているんです。長時間土の上に直に座った(ビニール素材のパンツ履いています)後や長時間土に触れ(手袋はしています)た後には元気いっぱいでした。仕事に行く前以上に元気になっていました。私はずっと土に触れたいって思っていたのですが、それが叶ったことがとても嬉しいです(*´▽`*)自然に繋がることの美しさ(気持ちの上での不快感も解消する)を体感してほしいと思ってます。
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占い相談で多い占いとは?

恋愛の悩み? 古今東西、昔から意外に悩みと言うのは変わらないそうです。 平安時代でも恋に恋焦がれて相手を想う気持ちと言う歌を詠んでいる歌は多いですよね。 特に女性は、待っている側だったのでひたすら”あみん”だった訳です。 (※若い人は分からないかもしれないですね。。) 動いてはいけない時代だった訳です。 唯一の手段が和歌を書いて相手に自分の気持ちを伝えると言う事をしていたのです。 古から人の恋焦がれて想う気持ちはあって、どう伝えるかと言うのは同じですね。 それが恋文からメール今はLINEと言う手段になったと言う事ですね。 貴方の苦しい恋愛を占いを通して私は貴方に寄り添って応援します。 今、恋愛で悩んでいる方も数年たてば何だったのだろうと思う程、実は、今の悩みと言うのは大した事無いなと思えますが、今の恋で苦しい方、占いからのアドバイスが欲しい方はお待ちしております。  
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