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誰もが知っている歴史の常識は事実と違っていた!

マリンこと 神保慶明です。 今まで あなたが 学校で先生から 教えられてた 日本の歴史は 真実だったのでしょうか? テルミー・ザ・トゥルース! 是非、本当の 歴史を知って下さい ビックリさせられますし 面白いですよ
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マニピュレーターと織田信長

1日空きましたが、今日は「カズレーザーに学ぶ」で取り上げられたテーマの一つ、マニピュレーターについて書きたいと思います。まずマニピュレーターですが、アメリカの心理学者ジョージ・サイモンによれば、「人を追い詰め、その心を繰り返し支配する潜在的攻撃性パーソナリティ障害者」とされています。要するに相手の心を意のままにコントロールして、自分の利益を得るパーソナリティのことですね。日本の会社には・営業上位の人を表彰して周りにプレッシャーを与える・自己啓発本の精神論を部下に薦める・一度落としてから甘い言葉をかける・社員の誕生日をお祝いして家族感をアピールするといった行動を取る上司が良くいますが、彼らは多くの場合、マニピュレーターだったりします。もちろん、マニピュレーターは上司だけではなく、先輩、同僚、友人、知人にもいます。彼らの特徴として厄介なのは、最初のうちは協力的・友好的な態度を示すので、一見では攻撃的な人物には見えないというところです。しかし、良い人だと思って気を許すと、「君の仕事に期待しているよ!」と好意的に応援してくれていたのに、些細なミスを人前で激しく叱責する。といった形で追い込んできます。ただし、マニピュレーターが相手を特別扱いしたあとに与えるのは、あくまで「理不尽な厳しさ」だということに注意してください。かなり大変そうに思える仕事を任せたとしても、それがキャリアアップを思ってのことだったとしたら、理不尽とは言えません。ではなく、人前で「君のミスがなければ、あのプロジェクトは成功したかもしれないんだよ」となじり必要以上に責めるわけです。こういう人間のターゲットになると、「親切
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史実って 何?

2023年 2月6日 月曜日 「桶狭間の闘い」で 時の人となった武将『織田信長』 若き頃は「うつけ者」と 誰からも相手に されなかったと聞きます。 今で言う『ヤンキー』でしょうか? 兎に角「目立ちたかった」の一点? そこへ 「美濃のマムシ」と呼ばれた 斎藤道三が娘「濃姫(帰蝶)」の輿入れ。 戦国間も無い当時の定石『政略結婚』 彼女の夢は 亭主を小手先で使い 父(斎藤道三)の夢を実現させる事。すなわち 父には叶わなかった『天下獲り』を 手中に収める事。 もとより目立ちたがりの夫・信長は 妻・濃姫の手のひらの上で転がされ、 家臣一同が考えも及ばなかった奇策 暴風雨の中での奇襲作戦を伝授し、 目立ちたがりな夫の『承認欲求』を ものの見事に満たしてしまう。 傍目からは「切れ者」の親方様も 実は裏では 奥方の言いなりだった? しかし まあ、 戦国の世の 熾烈な戦いが続く中で 信長自身が「思い通りに行かない」高野山を 狂気の焼き討ちにした頃から 妻・帰蝶にも 心の変化が・・。 葛藤に苦しむ夫・信長の姿を まともには見られなくなって行く。 あれほどまでに 父・斎藤道三の成し得なかった夢を 代用品として 押し付けるように [無理矢理]にも押し付けていた自分自身に夢の実現の為の道具(駒)では無く 「夫」と言う姿に見えて来てしまい 好いた人に これ以上の苦しみを与えたくない。 苦悩な姿に耐えられなくなって・・。 もとより、 目立ちたいだけだった こけおどし的な 見た目重視の 小心者の信長は 「何の為に?」と 天下獲りの意味を見失って行く・・。 狂気の親方・信長にこそ価値を見い出し 付いて来ていた家
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幻の弟 清玉上人(阿弥陀寺)

2023年 2月7日 火曜日 鎧・甲冑・蹄(ひづめ)の数 百以上? 千以上? 「がしゃ がしゃ・・」と 足軽達が大群になって 深夜の大移動。 現代と違い 四百年前の京都は 静けさの都。 鎧やら 甲冑やら 馬の蹄(ひづめ)やら それらが 戦に向かうほどの数を揃えて 砂利道? 土の上? 静寂さを保ちつつ進むなんてありえず、 それらの音は 夜空に木霊(やまびこ)のように 響き渡る事でしょう。 遠くから聞こえて来る「その音」が 例えば 自分の寝床に居て だんだん近づいて来るのを 傍の皆で一緒に 耳にすると? 何処に向かっているのか? 誰の処へ向かっているのか? 目的は? 意図するモノは? そして その音が 自分達の陣屋なり 宿舎なりの周りで 間違い無く囲まれた状態で 静かに なったなら? そればかりか 塀の内側から 見上げるように見える 家紋の付いた風に揺れる「のぼり」 「明智光秀の軍勢に ござりまする。」 それは恐らく かなり早い段階で 皆が判断する事が出来ていた筈です。 忍びの存在もあったでしょうから。 ある意味、 事前に脱出する事も可能でした。 しかし、 信長は境内を動かなかった! 秀光も 即座に攻め入る事は無かった筈。 何故なら、 それは ほれ 事前交渉が世の常だから。 まずは使者を送り込み 要件を伝える。 同時に、 要人の存在を確かめる為。 交渉も一度では無いでしょう。 掛けた時間も「それなりに」 たいまつ かがり火 境内から見える その揺らぎの「炎」を見て 信長は「自刃して果てた」そうです。 デスマスクが作られた とも聞きます。 亡骸は即座に荼毘に付され 骨壺に収められまし
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小説『不自由な織田信長』

【字数:約四千三百】  ***「おう、おう、ようやっておるわ」 晴天なりし都の空の下、そう、弾んだ声で嬉しそうに呟《つぶや》いたのは、今や都の主たる織田信長である。信長はすでに齢《よわい》五十に近いが、その肉体は今でも壮健にして痩身《そうしん》である。もし、顔のしわを化粧で消せば、若武者と呼ばれても不思議では無い。だが、今の信長は四方《よも》を剄敵《けいてき》に囲まれていた若かりし頃とはかけ離れた立場に在る。もはや、武田を滅ぼし、上杉も恐れるに足らず、毛利も禿鼠《はげねずみ》が上手くやろうし、さらに、丹波《たんば》から、律儀《りちぎ》な日向守《ひゅうがのかみ》を禿の助けに行かせるから安心だ。信長はようやく天下に比類無き大大名として思うままに君臨できる立場になりつつある。 だが、それにも関わらず、今日の信長はひどく軽装であり、帯刀すらしていない。つまり、いかにも若隠居の旦那《だんな》様が家の金を使って遊んでおります、と云いたげな風情《ふぜい》を演じている。信長がやってきたのは寺の脇へ作られた相撲《すもう》の取組場である。広間の中央には台の形をした立派な土俵《どひょう》が作られており、それを大きな櫓《やぐら》が囲っている。土俵の上では見習いらしき力士たちが前座なのか稽古《けいこ》なのか分からぬが、すでに相撲を取り始めている。客席はまばらだが、まだ朝の早い時間なので当たり前だ。客席の後ろ側は地べたになっているので、藁《わら》の莚《むしろ》[*1]が用意され、その上へ質素な座布団がびっしり並べられている。信長はかような何処《どこ》の誰が来るかも分からぬ不穏な場所へお供を一人連れただけで
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960.最強は誰だ? 日本刀のイメージがある歴史上の人物

最強は誰だ? 日本刀のイメージがある歴史上の人物  3位伊達政宗、2位織田信長…1位は? インターネットリサーチなどを行うNEXER(東京都豊島区)と日本刀、刀剣の販売・買取を行う「永楽堂」(同墨田区)が共同で「最強だと思う日本刀のイメージがある歴史上の人物」に関するアンケートを行い、結果を紹介しています。調査は4月28~30日にかけて、男女1000人にインターネットで実施。回答をもとにランキングを作成しています。  3位は、伊達政宗で78票を集めました。回答者からは「独眼竜で、ゲームでもかっこよかったから」(20代・女性)、「生き様がイケメンそのもの。優しさは強さだと気付かせてくれた政宗様が最強です」(40代・女性)、「よく刀や包丁の名前になんとか政宗っていう名前がついてたりするから、そういうイメージに合っている」(40代・女性)、「知力、武力に優れた感がある」(40代・男性)という回答が寄せられたということです。  2位は、119票を得た織田信長でした。「天下統一に一番尽力した人だったから」(10代・男性)、「歴史に名を残した有名な方なので」(20代・女性)、「生き様が誰よりもかっこいいから」(30代・女性)、「有名な刀をたくさん持っているし魔王の名前にふさわしい最強の人物だと思うから」(30代・女性)、「最もインパクトのある暴君っぽい強さ・怖さを感じるので」(40代・男性)、「時代に染まらない普遍的な強さがある」(40代・男性)という感想が集まったとのことです。  1位は、244票を獲得した宮本武蔵でした。回答では「強いと思うから」(20代・男性)、「漫画とかで
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手相パート2

今日は良い天気でございます。フィンランドは寒いのでしょうか?オーロラ見たり、自分の家のサウナに入りたいです。現在、10℃ですが陽が当たっているのか意外に暖かいです。なぜか手相について書きたくなって書いております。感情線と頭脳線が繋がって1本になっている方がたまにいます。天下取りの”マスカケ線”と言われていますが戦国武将で天下を取った豊臣秀吉、織田信長、徳川家康(幼少時、8歳で今川家と織田家に挟まれていて今川家に援軍を得る為に父が交渉し契約成立をしたそうですがそこはこの時代、裏切りなど当たり前だったらしく、織田信長に引き渡されて、幼少期は捕虜の身だったそうです。。。全然知られていないですよね(汗)苦労人だったそうです)名だたる戦国武将この3名を知らない方は恐らく、日本人ではいない位、有名な歴史上の人物です。この3名全員がマスカケ線を持っていた事から天下取り、世に影響をもたらし片手だけでも100人に1人の珍しい手相です。有名人(福山雅治さん、佐藤健さん、広末涼子さん)やイチロー選手などスポーツ選手が持っているといわれています)日本人なら知らない位の有名人ばかりですよね。マスカケ線は知っていたのですが、まさか自分が鑑定している中で(一般人なので)いないだろうなーと思っていたのですが、数名出会いました。ですが左手に持っていたので持って生まれた運命ですがその方は、別に会社員として働いているのに不満は無いけど何かが足りないと思い、弟さんが飲食をやっている方で自分の店を持った事により自分は特に目標もなく、ダラダラただ毎日を過ごして良いのかと言う気持ちが強くなったそうです。そんな時に私の手相鑑
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#270 2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将

「リクスタ」(千葉県市川市)が8月24日、「2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将」を発表しました。仙台市にある伊達政宗像。 各種アプリ開発などを手掛ける「リクスタ」(千葉県市川市)が8月24日、「2022年上半期ユーザーが選んだベスト・オブ・戦国武将」を発表しました。同社の村作りシミュレーションアプリ「戦国村を作ろう!」「戦国村を作ろう2」ユーザーに「好きな戦国武将は誰か?」を聞いたところ、「織田信長」が他の武将を引き離して1位となりました。織田信長が断トツ 投票は8月5日~15日に実施。有効投票数は395票でした。1位の織田信長は78票を獲得。ユーザーの投票理由には「天下統一の土台を作った有能さ」「生きざま」などを評価する意見が集まりました。 2位は「伊達政宗」で36票。「独眼竜がかっこいい!」「兜(かぶと)がかっこいい」など、見た目の格好良さに関する意見が多く寄せられました。3位は「武田信玄」で35票。「家臣を大事にした」「仲間思い」など、人柄を評価する意見が多く寄せられています。
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織田信長「常識を疑え」に学ぶ|ビジネスで勝つための3つの革新戦略

織田信長とは?「常識を疑う力」で天下統一に挑んだ革新者織田信長(1534〜1582年)は、戦国時代を代表する武将であり、日本史上最も革新的なリーダーの一人です。尾張(現在の愛知県)の小さな戦国大名から出発し、わずか数十年で天下統一の目前まで駆け上がりました。信長の成功の鍵は、「常識を疑う力」でした。当時の武将たちが守っていた慣習や伝統を、彼は容赦なく壊していきました。鉄砲を大量導入し、身分に関係なく実力のある者を登用し、既得権益を持つ寺社勢力とも戦いました。この「常識を疑い、新しい方法を試す」という姿勢は、現代のビジネスにも通じる普遍的な戦略なんですよね。"絶対は、絶対にない""必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ"― 織田信長織田信長が実践した「ビジネスで勝つための」3つの革新戦略織田信長の戦略は、現代のビジネスにも応用できます。中小企業や個人事業主が実践できる3つの革新戦略をご紹介します。戦略① 「当たり前」を疑い、新しい方法を試す信長が最も得意としたのは、「これまでのやり方」を疑うことでした。たとえば、桶狭間の戦いでは、敵の大軍に対して正面からぶつかるのではなく、奇襲という常識外れの戦法で勝利しました。また、長篠の戦いでは、鉄砲を三段構えで使う革新的な戦術を編み出し、当時最強と言われた武田軍を打ち破ったんです。これは現代のビジネスでも同じです。「うちの業界ではこれが当たり前」「昔からこうやってきた」という思い込みが、成長を妨げていることがあります。たとえば、紙のチラシが主流だった業界でも、SNSやLPを活用することで新しい顧客層にリーチできるかもしれません。対面営業が当た
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今年ベスト3【逆説の日本史】戦国三英傑編

歴史好きな人は絶対におもしろい!そもそもこの本に興味を持ったきっかけはこちらの動画です。井沢元彦さんって知りませんでしたが論理的なお話しに説得力を感じました。歴史をかいつまんで読むのではなく「全体を通して読み込むと解釈が変わってくる」という事で早速読んでみました。こんにちは、4s Production 中沢です。三英傑とは?(サンエイケツ)愛知県出身の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、いわゆる三英傑は戦国の戦乱から天下統一へと日本を導いた事です。この3名の武将について段階的に書かれている本です。その他にも逆説の日本史 江戸大改革編幕末編とあります。その他多数あり1日でこの3冊いっぺんに読むと歴史の流れがまるッとわかるということでしたが私は一日では読めませんでした。そもそも逆説の日本史とは?この本の冒頭にもある通り逆説という事は「ああも言えるがこうも言える」という事です。ちなみに井沢元彦さんは歴史学者ではありません。その井沢さんがいうには今の歴史学者は「資料絶対主義」資料がなければそれは想像だ、真実であった証拠がないと決めつけます。こういう実証主義は裁判の場では確かに必要です。冤罪を生まないために。しかし、史料が残されていない歴史は推理で補っていくしかないと話します。確かに史料が残っていないのであれば信憑性にかけます。私も真実ではないのでは?と感じますが、全ての歴史が資料として残っているはずがありません。今のネット社会ならある程度は残りそうですがパソコンがない紙の時代に残っているのは重要な一部の書類のみでしょう。となると確かにお役所仕事の重要な資料はあるはずだけどそれ以外はないでしょ
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助けてもらったこと、良いところは忘れることなく、それでもの時は。。

大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ最終回を迎える。戦国時代の武将明智光秀の生涯を描いたドラマだが人との繋がりや織田信長との人間関係は、現代社会でも学ぶことがたくさんある。特に会社経営者、上司そして部下とそれぞれの立場に立つ人、全員において参考になることが多いだろう。当初、信長と光秀は大きな目標に向かって意思疎通し信頼関係を深めていったがやがて意見の食い違いが重なり信頼関係が徐々に崩れていく。それでも光秀は家臣の立場をわきまえ我慢を重ねる。しかしもうこれ以上はと限界を感じた時、悩み悩んだ挙句の果て「本能寺の変」を起こすこととなった。そして目の上のたんこぶであった両者が消えたことをこれ幸いとして天下を統一したのが羽柴秀吉(豊臣秀吉)なのだ。ドラマのストーリーからみると秀吉は、かなりズル賢しこかったともいえるがある意味、百姓の身分から成り上がってきた真の実力をもつ大物だったという証でもある。この出来事を或る会社組織に当てはめてみると社長は信長副社長は光秀、秀吉は常務あたりであろう。当初、社長と副社長は意気投合し会社を立ち上げた。やがて会社は大きく成長した。その会社に当時、安定した収入もなく職もない常務が途中入社し這い上がってくるという背景である。業績があがるまでの間、副社長は多くの信頼関係を築き実績をあげ会社の成長に大きく貢献した。社長は成長した会社をいい事にその権力をふりかざしわがまま経営の方向に走りだした。副社長は何度も修正しようと説得するがその威力はおさまることがない。ついに堪忍袋の尾が切れ社長を解任に追い込むこととなる。その後、そのスキをついて一気に乗り出してきたのは常務。こ
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もしも徳川家康が総理大臣になったら

2024年 8月10日 土曜日 映画 『もしも 徳川家康が総理大臣になったら』 現代科学の粋を凝らした 最先端技術と スーパーコンピューターとの融合 人工知能に 歴史の全てをプログラムし 過去の因縁を消去した状態で そう、 ストーリー的にも 都合の良い状況下で 過去の偉人達を蘇らせて 2020年以降の コロナ禍で混迷し 世界経済が失速した時代に 大きなメスを入れた作品です。 ホログラム復活 「どうするんだろう?」の疑問に 3D技術が活かされて 一年限り 期限付きの復活システムが 最高技術で展開! 今回の大阪万博でさえ その技術は間に合わない処 映画ならではの演出で とりあえずは 全てを受け入れて 全てを飲み込んで ストーリーに集中しましょう! 理屈は理解出来る! 言いたい事も わかる! 偉人の考えも理解出来る! しかし、 創ったのは人間。 何処かにバグが生じる! そして そのバグが タイミングを計ったかのように 信長の身に起こる! 本能寺の再演か? 事は『政』 現代の『政治』 『選挙』へと繋がるのでしょうか? 奇想天外な物語だけれども なるほど確かに 強いリーダー 責任を取るリーダー モノを言えるリーダー 今の日本には居ない 必要不可欠なリーダー それを表している 国会議員に 内閣に 観て欲しい作品です。 あぁ そうそう 過去に色々な時代劇で 豊臣秀吉役を 何度となく演じて来られた 竹中直人さん 今作では 「やはり秀吉役は 俺の物!」と 怪演されておられました。 GAKTOさん 織田信長役 決まっていました。 うん、 坂本龍馬役 赤楚衛二さん ぜよぜよ! 痛快だし 絵巻物語だか
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織田信長の1日の塩分量について

新しい大河ドラマ『豊臣兄弟!』が始まりました。仲野太賀さんが演じる主人公の小一郎(後の秀長・豊臣秀吉の弟)と池松壮亮さんが演じる藤吉郎(後の秀吉)・・二人の掛け合いは軽快で楽しいです。まだ3回目ですが際立っているのが、小栗旬さんが演じる織田信長。颯爽とした立ち姿と凄みのある表情がカッコよすぎてしびれます。***一説によれば、織田信長は塩分量がかなり多く更に糖尿病も患っていたとのことです。今回は織田信長がどれぐらいの塩分を取っていたか、について簡単に調べてみました。織田信長は本当に1日に40gも塩分を取っていたのか?織田信長は濃い味が好みで、有名料理人による薄い味付けの食事に激怒したという逸話があるそうです。戦国時代はおかずは少なく、お米をたくさん食べることで体を保っていました。ご飯のお供になったのは味噌や梅干し。信長はネギや胡桃を混ぜて焼いた味噌を好んで食べていたそうです。俗説によれば、信長の塩分量は1日に40gだったとのこと。でも・・本当なんですかね。梅干しや味噌で1日40gの塩分を取るとしたら・・・塩分40gと言われてもピンとこないので「梅干しと味噌」をどれだけとると40gの塩分量になるのか見ることにしましょう。大きな梅干し5個塩分20%の昔ながらの梅干しの場合、梅干し100gで約20gの塩分量です。大きな梅干し(南高梅など)1個を約20g(可食部)として、5個で20gの塩分を取ることになります。味噌200g(味噌玉10個分)味噌は100gで10g、200gで20gの塩分量です。画像は味噌玉です。味噌玉とは味噌に出汁や具などを混ぜて丸めたもので、あらかじめ作って冷蔵しておい
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千利休が大悪党!?茶道と戦国時代の新たな視点!『へうげもの』の世界を覗いてみよう【ネタバレ注意】

マンガ『へうげもの』はネタバレありでもおもしろい!20年も前のマンガですがおもしろい視点からのお話しです♪はじめに歴史の解釈なので諸説ありというのが大前提です。私はそれぞれの解釈があって良い派です。こんにちは、4s Production の中沢です。「へうげもの」とは?『へうげもの』は山田芳裕氏によって描かれた日本の歴史マンガで安土桃山時代を舞台にした作品です。このマンガは、戦国時代の武将でありながら茶人としても有名な古田織部(古田左介)が主人公です。きっかけは岡田斗司夫さん『へうげもの』というマンガを知ったのは岡田斗司夫さんのYouTubeからでした。膨大な知識量での解説が人気の岡田斗司夫さんです。初めて知ったのはこの本でした。自らをオタキングと語り、普通では考えられない切り口からさまざまな相談を読み解いています。詳しくはこちらを見ていただいた方が良いと思いますが私なりの解説をしていきたいと思います。話は本能寺の変織田信長暗殺は2巻の終わりから3巻頭です。それ以降から9巻まで本能寺の変後から千利休の切腹までが描かれています。本能寺の変には諸説ありますが千利休に焦点を当てている点が個人的には非常に興味深いのでそれについてアップしていきたいと思います。明智光秀が織田信長を襲撃した本能寺の変は、皆さんもご存知だと思います。 その背後で豊臣秀吉が暗躍していたという説を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?この『へうげもの』ではその豊臣秀吉を裏から操っていたのが実は千利休だったというお話です。千利休はお聞きになったことがあると思いますが織田信長の時代からお茶の神様として、茶道の
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合法的投資詐欺で儲けるためには byカズレーザーと学ぶ

カズレーザーと学ぶ。「激動の日本経済で勝ち組になる方法」を深掘り!株への影響が注目される今年のイベントは?日本株の未来は?2024.04.09 公開見た人いる?100億になったと称するテスタ?なる人物に出演者が、ひたすら次に儲かる銘柄を聞き出そうとしていた。これに答えて曰く、自分がその銘柄をメディアで言っちゃったら、その銘柄に集中しちゃって結局有望銘柄でも何でもなくなる。『自分で勉強』して自分にしかわからない有望銘柄を見つけるしかない。これだ、これが全てだ。これこそが真理なのだ。出演者の芸人がロボアド投資で儲かったことに対してテスタ氏は、自分で銘柄選びしていないから何が成功して何が失敗しているかわからないでしょと苦言を呈していた。このように『自分で勉強』して自分流を作れば悪用すれば詐欺れるのだ。上記のようにテスタ氏から銘柄を聞きたい人はテスタ氏にいくらでも払うだろう。たとえ教えた銘柄が全部外れたとしても、違法な勧誘などしていなければ、おそらく法的処罰を受けることはないし、責任を取る必要もない。だって、この番組でも言っていた通り「投資は自己責任」だからだ。つまり、テスタ氏は、いつでも合法的詐欺師になれるのだ。頭いいーーーー。実際ピンキリではあるが、このような投資塾を開いている者も散見される。伝説の投資家などと名乗った変なおっさん(本当は投資経験ゼロ、確か実はホームレス)が、講師に扮した投資塾があった。言うまでなく詐欺で逮捕されていた。ここまでのところで何が言いたいかわかったよね。答えは・・・・そう、自分で考えて、自分の考えたもの、自分のアイデアに投資しなさいってこと。決して他人の
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テイラー・スウィフトは、なぜ売れたのか!?

才能があったから。以上。で終わってしまっては身も蓋もない。寅さん曰く「それを言っちゃー、おしめぇよー」って感じだが、しかし、実際彼女の才能は14歳からすでに認知されていたようだ。才能については如何ともしがたいが才能があれば必ず成功するわけでもないことは、これも恐らく多くの人の共通認識であろう。それはゴッホの生涯を見ればわかる。ゴッホが生前成功しなかったわけは、こちらを参照⬇︎才能に加えるものは何か?お察しの通り「努力」だ。成功するための努力が才能に加わることによって目標や願望を実現することができる。これは成功のための普遍の法則、原則であることは誰もが知っている。知っていても実現しないDreams come trueしないなぜか?チッチッチ・・・終わり。すぐに分かったと思うが答えは「行動しない」からである。詳細は水川あさみ?主演でドラマにもなった著書「夢をかなえるゾウ」を参照にしてほしい。さて、話をテイラー・スウィフトに戻そう。彼女の努力(行動)とはなんだったか。曲作りはもちろんだが、加えてコンサート?フェス?なんかわかんないけど、とにかく人を集めて(集客)して、曲を聴かせるのはもちろんだが加えて、「テイラー・スウィフトの曲を流して」とラジオ局などに投稿してと集まった人たちにお願いしていたのだ。すなわち営業(セールス、宣伝活動)していたのだ。SNSふうに言えば拡散希望。この大胆不敵さが、今日の彼女を彼女たらしめん所以である。このようなセールス活動を続けていると何が起こるか?チッチッチ・・・終わり。引き寄せの法則が働く。優秀な音楽プロデューサーらの目に止まる。彼らのことを総称して何
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「織田信長は本当に本能寺の変で亡くなったのか」を占う

織田信長は本当に本能寺の変で亡くなったのか(「織田信長生存説」を占う)先日、歴史系のYou Tubeを見ていたところ、「織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれたのではなく、実は生きていたのだ」という織田信長の生存説が紹介されていました。説明を加えるまでもありませんが、本能寺の変は1582年(天正10)6月2日、明智光秀が京都本能寺に主君織田信長を襲って自殺させた事件ですが、織田信長の遺体は発見されませんでした。このため現在に至るまで様々な織田信長生存説が唱えられています。たとえば、・当時の本能寺は火薬などを貯蔵しており、地下通路があった。信長はその地下通路から寺院外へ脱出したという説・イエズス会の手引で海外に逃亡した・薩摩に逃げ落ちたが大怪我をしており、すぐに亡くなった・本能寺から脱出した信長は秀吉と合流したが存在を邪魔に思った秀吉に大阪城に幽閉された・加賀藩で生存していたなど。それぞれ非常に歴史のロマンを感じさせます。そこで実際のところどうなのだろうかと思い、「織田信長は通説通り本能寺で亡くなったのか」ということで易をたてることにしました。出た卦は艮為山(ごんいざん)之雷水解(らいすいかい)です。「艮為山」は「象伝」に「兼山あるは艮なり。」とあるように山が2つ重なった卦です。「雑卦伝」に「艮は止るなり」ともあり、象でみますと上卦の艮(本能寺、大門)の中に信長(下卦の艮)が留まっています。彖辞に「その背に艮まり、その身を獲ず。その庭に行きてその人を見ず。」とあるのも結局信長の遺体を確認出来なかったという事実を重ね合わせてみると面白いです。之卦の「雷水解」は文字通り「解ける」とい
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必死に生きてこそその生涯は光を放つ

必死に生きてこそその生涯は光を放つ 知っている方もいるかもしれませんが、これは織田信長の言葉です。1582年に本能寺の変で討たれるまでに数々の諸国を征服し、天下統一目前にまで上り詰め、その生涯を全うした織田信長が言っていたと思うと説得力が段違いですね。また、織田信長は1国の主にも関わらず、早寝早起きを心掛け、決して自堕落な生活は送っていなかったようです。確かに自堕落な生活を送っている人には信長ほどの偉業を成し遂げるのは無理でしょう笑   話を戻して、必死に生きてこそその生涯は光を放つと織田信長は言いましたが、必死に生きるとは一体どういう意味なのでしょうか。織田信長にはまだまだ遠く及ばない一般人の僕なりに考えてみました。 それはずばり、他人の目を気にすることなく、自分の人生を精一杯生きろということなのではないか、と僕は考えました。他人の目を気にし、他人にどう思われるのかが怖くて行動できなければ、それは他人が主体の人生を生きることになります。自分の人生なのに、自分の時間を生きることができず、他人の時間の中で生きることになるのではないでしょうか。  織田信長は一国の主でした。当時は一国を治めるのが当たり前の世界で、織田信長は天下を統一しようとしました。当時生きていたほとんどの人間からしたら常識外れで考えられないことだったと思われます。その上、ヨーロッパなどといった世界にも目を向けていたと考えられています。これは今の世の中の感覚からすると、宇宙に目を向け次なる時代を構想しているようなものでしょうか。 とにかく、織田信長は他人からしたらやめておけと言わんばかりの目標を掲げ、その目標に邁進
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戦国時代について考える

まず天海が明智光秀という説はないと思います。理由は年齢です。確か天海の方が10歳くらい上のはずです。光秀の前半生がいくら謎に満ちていても、さすがにこれはないでしょう。あるとすれば光秀の叔父の左馬之助です。年齢がぴったり合うし、記録の上では左馬之助は山崎の合戦で戦死したことになっています。ですが、その死にざまは記録によって記述がまちまち。更に興味深いことに左馬之助が戦死したとされる近くの寺で数年後に天海が還俗しているのです。還俗とは世をはかなんで出家したお坊さんが俗世に還ることを言います。なので天海は光秀よりも左馬之助の可能性の方が高いと思います。次に武田氏滅亡ですが、天正10年は年明けから有力武将の離反が相次ぎ、信長はこれを絶好の戦機と捉え、長男の信忠に武田征伐を任せます。当時の記録によるとこの時期に記録的な寒波がこの地域一帯を襲ったとあります。なので勝頼が小山田信茂が推す岩殿城ではなく、真田昌幸が推す岩櫃城に籠れば1度は織田方を押し返せたのではないか?と思います。というのも勝頼に上杉景勝から援軍を送ろうかという書状が届いていたのです。仮に2千でも3千でも援軍が間に合えば越後の兵は強く、かつ寒さにも強いので武田は真田のように明治くらいまで生き残ったのかもしれません。武田は鎌倉時代から続いた名門です。勝頼は信玄の正当な後継者ではなく陣代です。要は勝頼の息子の信勝が成人するまでの後見人です。信玄は能力で勝頼を選びましたが、経営という視点で見ると勝頼は創業者タイプで切れ者。2代目には不向きな人です。経営者が2代目を能力で選ぶと意外なほど失敗例が多いと聞きます。なので経営者が2代目を選
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